ふきのとうの思い出

僕は下戸なので、
アルコールは飲めない。
楽しそうに酔っ払う友人を見ると、
いつも、幸せがひとつ少ないとひがんでしまう。
でも、飲めないのだから四方ない。
お酒が似合う和食屋さんのメニューには、よく、季節を感じるものがあって、
それを味わうのが、もっぱら僕の楽しみだ。
居酒屋さんで、ふきのとうの天ぷらを見つけた。
ちょっと時期が過ぎた気もしたが、
注文した。
口の中で、あの独特の苦味が広がった。
ふと、最近会っていない友人を思い出した。
数年前の春の始まりの頃、
ふきのとうの天ぷらを届けてくれた。
お互いに忙しくて、
なかなか会えなくなったが、
元気でいて欲しいといつも願っている。
映像がなくても、思い出には
色や香りが寄り添う。
こういう思い出を残せた出会いに、
心から感謝する。
友人の笑う声を思い出しながら、
そっと合掌してごちそうさまをした。
(2014年3月31日)

開花

「あっ・・・。」
彼女は小さな声を出しながら、
四条木屋町の近くのコンビニからのルートを少しはずれた。
手引きされている僕もつられて動いた。
彼女は、高瀬川沿いの桜の前で立ち止まった。
彼女の肘をつかんでいた僕の左手をそっと持って、ゆっくりと動かし始めた。
その動きは、まるでスローモーションのようだった。
やがて、僕の指先に、ふくらみかけた桜のつぼみが触れた。
「数厘だけ咲いています。」
花びらのやさしさとは違う、
柔らかな強さが伝わってきた。
春が始まったのだ。
自然と背筋が少し伸びた。
顔が上向きになった。
また、新しい始まりの季節なんだな。
僕もまた、心新たに生きていこう。
(2014年3月28日)

世間は三連休だったけれど、僕には縁がなかった。
三日間とも仕事だった。
仕事と言っても、いわゆる収入になるものではない。
でも、NPO法人ブライトミッションの理事会、京都府視覚障碍者協会の理事会、
視覚障碍者福祉大会など、どれも大事な活動だ。
大切な仕事だと思っている。
ただ、時間に追われている日々に間違いはない。
それでも今日は、夕方少し時間が空いたので、
両親のもとを訪ねた。
92歳の父と87歳の母、
僕と三人でお茶をすすりながら、
まじわす会話は、同じところを幾度も行ったり来たりする。
僕達の間に流れる穏やかな空気は、
急ぎ過ぎている僕の時計の針を、
ゆっくりと逆に回していく。
僕はいつの間にか少年に戻る。
友人がくれた和三盆のお干菓子が、それぞれの口の中で広がる。
「かあちゃん、うんまかなぁ。」
母が微笑む。
止められない時を感じながら、
止めたい気持ちを抑えながら、
またひとつ、お干菓子を口に放り込む。
(2014年3月23日)

旅の記憶

階段の手前で声をかけてくださった女性と、
僕の行き先の駅は同じだった。
彼女は、目的地の河原町駅までのサポートを快く引き受けてくださった。
電車が到着するまでの数分間、
僕達はホームでいくつかの会話をまじわした。
少し暖かくなってきたとか、もうすぐお彼岸だとか・・・。
「私は福井県出身なので、春彼岸にはあまり縁がなかったような気がします。」
春彼岸、響きのいい言葉だった。
やがて電車が到着し、僕達は乗車した。
車内は少し混雑していた。
彼女は僕の手を取ってつり革を持たせた。
次の駅で座席が空くと、今度はそこに座らせてくださった。
長身の彼女の控えめな言葉と動きが、
とても上品に感じられた。
座席に座っている間、
僕は満ち足りた気持ちになっていた。
ふと、見えている頃、職場の職員旅行で訪れた福井県を思い出した。
東尋坊、永平寺、芦原温泉・・・。
ひとつひとつの風景までもが蘇った。
それぞれの映像は、とてもやさしかった。
河原町駅に着くと、彼女はエレベーターを探して、
改札口まで誘導してくださった。
たった10分程度、サポートをしてもらっただけでなく、
何か素敵なプレゼントをいただいたような気になった。
毎日のように、やさしい人達に出会える。
いろんな見方はあるのだろうけれど、
僕にとっては、豊かな社会だ。
そして、それを感じられるから、こうして一人で街を歩けるのだろう。
豊かな社会に、心から感謝したい。
(2014年3月18日)

一瞬の視線

駅で電車を待つ時、停車位置を示す表示は僕には判らないので、
無関係に、ただ点字ブロックの上に立っている。
電車が入ってくるのは、アナウンスと電車の音で確認できる。
ただ、すぐ前の電車の音と、もうひとつ奥の電車の音では、
奥の方が音がよく聞こえて錯覚を起こしやすいので、
慎重さが求められる。
電車の到着を確認した後、
今度はドアの開いた音を確認する。
そして、白杖で車体を触りながら、ドアの入り口まで進む。
入り口だと思われる部分に着いたら、床を確認する。
もし、入り口だと思ったところが電車のつなぎ目だったら落っこちてしまう。
だから、床を確認するのはとても大切な作業だ。
そこまで確認できたら、足を伸ばす。
目が見えればなんでもない行動が、
見えないとやはり大変な部分がある。
今日もそのつもりで立っていた。
電車の音を確認し、
ドアの音を確認した時、
「お手伝いしましょうか?」
僕はすかさず、彼女のヒジを持たせてもらった。
彼女は、僕を電車に乗せると、
入り口の手すりをつかませようと探しておられたようだった。
僕の左側にいた女性が、
僕の手をとって手すりを触らせて、
自分のつかんでいた手すりを譲ってくださった。
その時点で、僕を乗車させてくださった女性は姿を消した。
動きからして、
電車から降りてこられた人だったのかもしれない。
僕を乗車させて、僕が手すりをつかむのを見て、
降りていかれたようだった。
電車のドアが閉まり、
僕はのんびりと河原町までの時間を過ごした。
電車が河原町駅に着いた時、
手すりを譲ってくださった女性が声をかけてくださった。
「一緒に降りましょうか。」
改札口までサポートをしてくださった。
「私は、なかなか勇気がなくて声をかけたりはできないのですが、
さっきの方につられて声をかけました。」
僕は、感謝を伝えながら、
電車に乗り込んだ時を思い出した。
他人同士の二人の女性、
会話はなかった。
でもきっと、目と目が合ったのだろう。
視線が合ったのだろう。
一瞬にして、二人の中に、合意が生まれたのだろう。
暖かな、人間同士の眼差しだ。
人間って、すごい生き物だな。
一瞬にして、言葉を使わなくても伝えることができることもある。
改札口で別れ際、
僕は感謝を伝えながら、彼女を見つめた。
見えない僕の視線、
どうか伝わっていますように!
(2014年3月17日)

ごめんなさいのタイミング

バス停を探しながら、
のんびりと歩いていた。
白杖と足裏が点字ブロックをキャッチした。
その瞬間、安堵した。
誰もいないと勝手に思い込んで、
点字ブロックの上を前方に進んだら、
突然、白杖が誰かにあたった。
結構思いっきり当たった。
僕が「ごめんなさい。」と言うのとほとんど同時に、
彼女の「大丈夫ですよ。」という言葉が重なった。
僕達の間の朝の空気が、
やさしく流れた。
間もなくバスがきた。
「肩を持ってください。」
彼女が申し出た。
僕は、肩より肘が歩きやすいことを伝えて、
肘を持たせてもらった。
バスに乗車すると、
彼女は僕を空いてる座席に座らせてくれた。
「ありがとうございます。助かりました。」
僕は、声からして中学生くらいかなと思われる彼女に、
心をこめて感謝を伝えた。
その後、彼女がどの座席に座ったのか、
どのバス停で降りたのか、
僕には何もわからない。
ただ、間違いなく、
僕はいつもよりほんの少し、
幸せな気分でバスの中での時間を過ごした。
日常は、ついつい相手の反応を気にしたり、
空気を読んだりしてしまう自分がいる。
でも、そんなことよりも、
まず、ごめんなさいを言えることが大切なのだと、
改めて学んだような気がした。
それを、中学生が教えてくれたことが、
何かとてもうれしく感じた。
(2014年3月12日)

阿吽坊

久しぶりに、東山にある和食の店「阿吽坊」で食事をした。
年に幾度か訪れる店だ。
格子戸をくぐり抜けて、石畳を歩く。
玄関の土間で挨拶をして、
座敷にあがる。
入り口の近くの火鉢の炭火に手をかざして、
少しだけ暖をとる。
それから、案内された掘りごたつの席に座る。
ゆっくりと時間が流れていく。
僕よりはだいぶ若いおかみさんの、
いつものやさしい声がする。
僕にそれぞれの器を触らせて、
それぞれの料理の説明をしてくださる。
急ぐわけでもなく、かと言って、料理がさめるようなこともない、
あらかじめ、僕の耳から脳に伝わるスピードを知っているような、
ほどよい言葉の数と速さ。
ひとつひとつの味に、
ため息がこぼれる。
外は、名残の雪が舞っている。
僕の口の中では、竹の子の苦味がほの甘い酢味噌に溶け込む。
こういう瞬間を、しあわせって呼ぶのだろう。
見えるとか見えないとか無関係に、
無条件に、幸せになっている。
幸せになりたい方、どうぞ、格子戸をくぶってみてください。
(2014年3月7日)

6名の卒業式

「春の匂いがしています。
春の音がしています。」
在校生代表の送辞の言葉は、
風景を超えた春模様から始まった。
京都府立盲学校の第133回目の卒業式、
わずか6名の卒業式、
京都府視覚障害者協会の役員の僕は、来賓として出席させていただいた。
以下同文の言葉はなく、
一人ひとりにしっかりと、卒業証書が授与された。
校長先生の式辞から、保護者の挨拶、送辞、答辞、
それぞれの言葉が、
重みを持ちながら、意味を持ちながら、
静かに、そしてしっかりと会場を包んだ。
すべての人が、6名の卒業を心から祝福し、
そして、これから始まるであろう社会の現実との試練に思いをはせ、
それぞれの未来に、心からのエールを送った。
式典が終わり、6名の卒業生が退場した。
6名は、ゆっくりと講堂の中を一周して出ていった。
送り出す後輩達、保護者、先生方、
関係者の拍手はなりやまなかった。
僕も、精一杯の拍手を送った。
気がつけば、
痛さを感じるほど、
手をたたき続けている自分がいた。
こみあげるものを我慢しながら、
必死に手をたたき続けている自分がいた。
鳴り響く音だけの世界の中で、
一人の大人として僕にできることを、
ささやかでもいいからしっかりとやりたいと、
強く強く思った。
(2014年3月3日)

赤いバラ

帰宅した時、一階にあるポストのカギを開けて、
郵便物を持って階段を五階まで上る。
僕の日課のひとつだ。
小学生に、カギを開けるのは大変ではないかと尋ねられたことがあるが、
慣れればそんなに難しいことでもない。
今日もいつものように持って上がった郵便物の中に、
点字で書かれた葉書があるのを僕の手が見つけた。
13歳の少女からのものだった。
先日のあいらぶふぇあのイベントの感想などが書かれていた。
会場で出会った時のことを思い出した。
講演の後、少女はお母さんと僕のところに来た。
口数の少ない少女は、
折り紙で作った赤いバラを、
僕の手にそっと乗せた。
そのバラにも、僕が誰からもらったか判らなくならないように、
点字で書いた名札がつけてあった。
10歳の時に僕から教わった点字を、
少女はしっかりと使ってくれていた。
僕は講演の帰り、
その赤い折り紙のバラをスーツの胸ポケットにつけて歩いた。
どんなバラよりも、僕には愛おしく思えた。
こうしてエールをおくってくれる人達がいる。
あいらぶふぇあの後も、数え切れない人と握手をした。
たくさんのエールをいただいた。
それは光栄という感覚を通り越して、
僕を幸せにしてくれた。
頂いたエール、心の中の赤いバラに代えて、
しっかりと歩いていこう。
(2014年2月27日)

トイレ

外出先でのトイレは大変だ。
ギリギリになって走ることもできないし、
探すこともできない。
だから、工夫をしている。
まず、よく利用する駅のトイレの場所とか構造を記憶している。
そして、記憶が風化しないように、
わざと時々利用する。
できるだけ、ユニバーサルトイレを使う。
見えなくなってから、立ちションはやめた。
汚してしまう危険性があるからだ。
ユニバーサルトイレは個室だから、
慌てずに、自分のペースでペーパーとか水洗のボタンなどを探せる。
便座が汚れていないかも判らないので、
とりあえず、必ず一度拭くことにしている。
結構大変だ。
それと、もよおさなくても、トイレをすますようにしている。
見える人と一緒の時など、
行きたくなくてもトイレに行くのだ。
こうしてなんとかなっているけれど、
もう少し老いてきたら、
紙パンツ・・・。
まだ、もうちょっと先かな。
今日は、よく使う駅の地下にある久しぶりのトイレに向かった。
結構穴場で、込んでいないし、行きやすい。
点字ブロックに沿って歩き、エレベーターの前まできた。
点字を探して、地下2階のボタンを押した。
ドアが開いて、ほっとしたのが失敗だった。
数歩動いて、トイレのドアの取っ手を開けようとした瞬間、
「そこは女子!」
おばちゃんに怒られた。
結構大きな声で、きつく怒られた。
僕はごめんなさいと言いながら、
もう少し先にあるユニバーサルを探した。
それでも、「ほんまにオッサンは!」と言う声が追いかけてきた。
ユニバーサルに入ってから、妙に悲しくなった。
一瞬、紙パンツを思い浮かべた。
でもな、やっぱりな。
まだ、決心にはたどりつかない。
鈍感そうに見えるかもしれませんが、
結構引きずるタイプかもしれません。
これからも、女子トイレにまぎれこみそうになっても、
故意ではないので、許してください。
(2014年2月21日)