先輩はぼそぼそ話す。
ベーチェット病と戦いながら、
どんどん失われていった視力に不安を感じながら、
何とか定年まで仕事を続けられた。
彼が視覚障害者の団体に入ったのは僕より後で、
団体の中では僕の方が先輩になる。
人生では、彼が先輩だ。
いつも変わらない前向きさと、
誠実な人当たりが魅力だ。
その誠実さが支持されて、いろいろな役員もしておられる。
地域活動も活発で、地元の小学校の子供達に、
視覚障害を正しく理解してもらうための寸劇などにも取り組んでおられるそうだ。
その彼が、小学校に行く時に、
僕の著書「風になってください」を持参し、
学校に寄付しておられる。
毎回、そうしておられる。
実は、こういうことをしてくださっている仲間が何人かおられる。
皆さんがおっしゃるのは、書かれている内容が同じということだ。
同じ経験をしたとか、同じ思いだとか。
僕はその言葉を聞くたびに、心から光栄だと感じる。
活字を使った僕のささやかなメッセージが、
仲間の思いの一部でも伝えることができるとしたら、
それは素晴らしいことだ。
僕は、彼に頼まれた本に、感謝をこめてサインする。
きっと、読んでくれる子供達がいるだろう。
それは、必ず、未来につながる。
僕は、未来につながると口に出す。
先輩はぼそぼそ話すだけで、
そんなことは口には出さない。
でも、出さないから、彼は知っている。
そして、そんな関わり方があることも教えてくれる。
人生の先輩は、やっぱり先輩なのだ。
(2013年11月12日)