鹿児島県阿久根市で生まれ育った僕は、
子供の頃、何度か大きな台風を経験した。
停電するのは当たり前だった。
ローソクの薄明かりの中で、
大きな風の音を聞きながら、
台風が過ぎ去っていくのを待った。
ただ、じっと待った。
子供ながらに、自然の大きな力を知り、恐怖も感じた。
台風が過ぎ去った翌日は、
子供にとっては、探検の時だった。
あちこちを見て回った。
どこかのトタン屋根とか看板とか、
いろんなものが散乱していた。
倒れている巨木もあったし、
つぶれてしまった民家もあった。
災難へ思いを重ねることよりも、ただただ、台風の力を凄いと思った。
子供ってそんなものなのかもしれない。
小川の水は溢れていて、
濁流だった。
そこらにあった棒切れで足元を確かめながら、
濁流の中を歩いた。
やっと橋のたもとまで辿り着き、
堤防に腰をおろした。
遊び疲れてふと見上げた空は、
とってもきれいな水色だった。
そのきれいな空を、台風一過の空ということを知ったのは、
随分後になってからだ。
台風のたびに、あの空を思い出す。
不思議なことに、ローソクの光の向こうの闇は思い出さない。
何故なのかはわからない。
どうか、被害が出ませんように。
(2013年9月15日)