乗車するなり、タクシーの運転手さんが話しかけてきた。
「ちょっと見えないんですか?」
「僕は全盲で、全然見えていません。」
自宅までの15分間、僕達はいろんな会話をした。
僕が見えなくなって、15年くらいだということ、
もうすっかり慣れているということ、
でもやっぱり、駅のホームなどは緊張するということ、
彼は一人暮らしだということ、
勉強は苦手だったけど身体は元気だということ、
いつまでも健康でありたいと思っていることなどを話された。
そして、ちらついている雪の美しさを僕に教えてくださった。
小雪の舞う道を、タクシーはスイスイと走った。
僕は、車の曲がる方向や道路の傾斜で、車がどこを走っているかがだいたい判っ
ている。いつもの道順を走って、タクシーが団地の横に停車した。
「900円でいいです。」
彼が言った。
夜遅い時など、同じ経路をタクシーに乗車することがあるので、
1,000円を超えるということは知っている。
しかも、深夜なので割り増しのはずだ。
けげんな顔をしている僕に、
「僕は個人タクシーだから、大丈夫。900円でいいです。」
彼は再度、そう言った。
どういう計算がおこなわれたのかは判らない。
僕は、財布から千円札を取り出した。
100円玉一個が、僕の手に載せられた。
ドアが開いて、
お互いの「ありがとうございました。」の言葉が交差した。
降りようとする僕に、彼は段差に注意するようにと付け加えた。
歩き始めた僕の背中を、視線が追いかけているのがわかった。
タクシーのエンジン音は、動こうとはしなかった。
10メートルほど歩いて、団地の入り口を見つけた時、
僕は振り返って、自然に深々と頭を下げた。
タクシーは、安心したように走り出した。
僕は、右手で白杖を使いながら、
左手でポケットの中の100円玉を触りながら歩いた。
ちらつく雪を顔面で受け止めながら、
ちょっと目頭が熱くなった。
ほんまに、人間っていいよなぁ。
(2012年12月27日)