お父様は戦死だった。
お母様は肺病で命を落とされた。
残された6歳の少女は一人で生きるしかなかった。
戦争に翻弄されながら異国の中国で少女時代を過ごした。
引揚船で舞鶴に帰ってこれたのは12歳の時だったらしい。
その後の少女の人生を僕は深くは知らない。
知らなくていいことなのかもしれない。
「目が悪くて良かったこともあるのよ。ヤクザの女にならなくてすんだから。」
キャバレーで歌っていたと彼女はチャーミングに笑う。
生きてこれて幸せだったと彼女は笑う。
僕が彼女とつながったのは視覚障害が縁だ。
以前僕が関わっていた就労継続事業所さわさわを彼女は利用していた。
年齢は20歳ほど違うが僕達は気心の知れた間柄となった。
病気が見つかったことを彼女からの電話で知った。
ステージ4の肺がんの治療を彼女は拒否した。
ありのままに生きていくのだと言う。
彼女の半生をさわさわ時代の友人が綴った。
『「中国ひとりぼっち」から引き揚げ船で日本へ』(読書日和 1,860円)
ささやかな出版お祝い会に仲間が集った。
彼女の人生を、執筆してくれた友人の人生を、そしてそれぞれの人生を祝福する空気
があった。
あちこちで笑い声が聞こえた。
「幸せの後には悲しいことがあるから怖いわ。でも、ケセラセラよ。」
彼女はそんな言葉で宴を締めくくった。
一人の人間が生きていくということ、生き抜いていくということ、そこにはそれぞれ
のドラマがあり、そしてかけがえのないものなのだ。
障害があろうがなかろうが、その美しさに差はない。
人間の価値は皆等しいということなのだろう。
実行委員長の僕は事前の準備から跡片付けまで大変だった。
でも、大きな達成感の中で幸せを感じた。
かけがえのないもの、それは人間同士が織りなす絆なのだろう。
ケセラセラ、僕もそう生きていきたい。
(2025年3月30日)