僕の母校、鹿児島県立川内高等学校にはユニークな取り組みがある。
卒業して50年目の先輩が卒業式に列席するというものだ。
68歳、僕は丁度その年齢となり出席した。
220名余りの卒業生、そして約50名の先輩が卒業式の式典に参加していた。
吹奏楽の生演奏の重厚な響きが開会を告げた。
厳粛な空気の中での卒業証書授与、式辞、祝辞、そして在校生からの送辞、卒業生代
表の答辞、最後は卒業50年代表からのメッセージとつつがなく進行していった。
僕達も50年前にここを旅立っていったのだ。
光陰矢の如し、まさにあっという間の時間だったような気がする。
それでも現実は半世紀という気が遠くなるような時間を生きてきたのだ。
卒業50年まで辿り着けなかった同窓生も何人もいた。
行方の分からない同窓生もいる。
ここまで来られたこと、本当はそれだけでも幸せなことなのだ。
しみじみとその現実に感謝した。
卒業生退場、僕は精一杯の拍手を送った。
一人一人が豊かな人生であるようにと心から願った。
そして、後輩たちが生きていく世界が平和でありますようにと願った。
この卒業生達が50年後にまたこの席に座るのだろう。
その時、僕達先輩はもう誰もいない。
これからをどう生きていくのか、それはどう死んでいくのかということなのかもしれ
ない。
残された時間、僕は僕らしく生きていきたい。
記念の集合写真、同窓生達が前列席に僕を案内してくれた。
自律・敬愛・剛健、この三つが校訓だったことを卒業50年目に初めて知った。
優等生ではなかったという証だろう。
列席者の中で見えない人間は僕一人だった。
様々な場面でさりげないサポートを受けながら僕も問題なく参加できた。
僕は同窓生達に感謝しながらカメラに向かった。
僕が記念写真を見ることはない。
でも、優しき同窓生達に僕の笑顔を見て欲しいと思った。
(2025年3月5日)