節子ねえちゃんからの手紙が届いた。
節子ねえちゃんは僕の従姉だ。
僕が子供の頃、一番近くに住んでいた従姉だ。
と言っても、僕が少年の頃、節子ねえちゃんはもうお姉さんだった。
記憶にある節子ねえちゃんの顔は綺麗な大人の顔だ。
節子ねえちゃんには弟がいた。
僕はこうじ兄ちゃんと呼んでいた。
こうじ兄ちゃんは僕を可愛がってくれた。
遊んでもらった思い出は数多くある。
よっぽど楽しかったのだろう。
いくつものシーンが蘇る。
セピア色の静かな映像が思い出となっている。
やさしい風景だ。
よく二人乗りした自転車の後ろの席から見ていた風景なのかもしれない。
僕が高校を卒業して東京に出た時、いろいろと世話をしてくれたのもこうじ兄ちゃん
だった。
数年後、体調を壊したということでこうじ兄ちゃんは故郷の病院に入院した。
僕は帰省の際にお見舞いにいった。
京都で学生生活を送っていた僕は、京都での再会をこうじ兄ちゃんと約束した。
こうじ兄ちゃんが何をどこまで知っておられたのかは分からない。
若かった僕は、病院は治療をして元気を取り戻す場所だと信じて疑わなかった。
まだ20歳台だったこうじ兄ちゃんの年齢、病室での笑顔、すべてに悲壮感などはなか
った。
それから1年も経たない内にこうじ兄ちゃんは天国に旅立った。
人の死について、僕が初めて打ちのめされた経験となった。
心の中で生きている。
人は時々そのような表現をすることがある。
あれから半世紀近くの時を超えて、僕はそれを実感している。
「信也、頑張れ。」
こうじ兄ちゃんはきっとそう言ってくれてるだろう。
こうじ兄ちゃんの顔が笑った。
それから、節子ねえちゃんの顔も笑った。
(2024年12月18日)