見えなくなった頃、履歴書に無職と書くのが辛かった。
いつの頃からか自由業と書くようになった。
職業にありつけるまでの対応策のはずだった。
見えなくなって27年の歳月が流れたが、結局定職には縁がなかった。
それから今日までずっと自由業ということになってしまった。
27年の間に仕事への感覚も変わった。
僕にできること、そして僕自身が大切だと思う事、それが仕事なのだと思うようにな
った。
そこに収入が発生する時もあればない時もある。
障害者団体の活動などはほとんどそこに収入はない。
逆に持ち出しが多い仕事かもしれない。
福祉授業や講演活動の収入は時と場合で変わる。
講演料はいくらかと尋ねられることがあるが、予算の範囲で結構ですと答える。
定例区みたいなものだ。
こんなに頂いていいのだろうかと思うこともあれば、お茶とお菓子を頂いて帰ること
もないわけではない。
まさに、いろいろな意味で自由業なのだろう。
自由業だから気楽と思われることもあるかもしれないが、大変なことだってある。
スケジュール調整などはそのひとつかもしれない。
春は企業や職場の研修会などが多い。
夏休みは暇になる。
秋は小学校などの福祉授業が多い時期となるし、12月などは人権月間ということでい
ろいろある。
そして、同じ時期にいろいろと重なってしまうことも多い。
秋はそういう時期かもしれない。
この数日も忙しかった。
京都、大阪、滋賀と飛び回った。
昨日は午前の枚方市の高校、午後の京都市内の大学、実技の研修もしたせいか歩き回
ることになってしまった。
夕方の山科駅で歩数を確認したら1万6千歩を超えていた。
そして、トラブルがあったらしくて電車はストップしてホームは人で溢れていた。
僕を見かけたらサポートの声をかけてくださる男性が、たまたま僕を見つけてくださ
った。
神様っているなと思った瞬間だった。
僕達は同じ比叡山坂本駅を利用している。
彼はいつものように改札口まで手伝ってくださった。
昨日僕のことを思い出したので驚いたとおっしゃっていた。
電車の中から日が短くなった夕暮れを教えてくださった。
秋はこれから深まっていくのだろう。
こちらでの仕事を数日して、それから鹿児島県に向かう。
鹿児島県薩摩川内市で小学校での福祉授業を3校、看護学校での講義、社会人向け講
演などで一週間程度過ごす。
それから戻っての4日間、京都の大学での講義、一般対象の規模の大きな講演会など
が控えている。
その後、東京に向かう。
この研修の講師は一週間程度となる。
自分でも凄まじいスケジュールだと思う。
でも頑張る。
頑張れる。
どれも僕にとって大切なこと、まさに自由業だ。
(2024年9月27日)