まきちゃん

まきちゃんが家まできてくれた。
20年ぶりくらいの再会だった。
僕はまきちゃんをまきと呼ぶ。
まきちゃんは僕をのぶやと呼ぶ。
出会った頃の高校時代の話に花が咲く。
故郷の言葉が零れる。
高校を卒業して50年もの時間が流れた。
嘘みたいだねと笑顔を交わす。
庇のあった白い帽子をかぶったまきちゃんの笑顔の映像が蘇る。
はっきりと蘇る。
庇のあった白い帽子は母校の高校の女子の制帽だった。
制服は忘れてしまった。
うれしさがこみあげる。
久しぶりの種類のうれしさだ。
このうれしさは何だろう。
僕達は同じ景色を見ていた。
高校の校門、校舎、運動場、見ていた。
同じ列車で通学した。
車窓から見えた海、白い砂浜、所々にある岩場、見ていた。
見ていた僕をまきちゃんは知ってくれている。
白杖を持たずに走っていた僕をみたことがあるのだ。
僕が見えていたという証拠だ。
それがこの不思議な喜びにつながっているのだろう。
失明して27年、記憶が時々セピア色に変わっていることに気づく。
昔は見えていたと人前で言うことに少し照れくささを感じるようにもなった。
不思議な感覚だ。
まきちゃんとの再会は本当に見えていた自分との再会だったのかもしれない。
また会おうね。
(2024年8月28日)