違国日記

奥様の方と知り合ってからもう20年近くの時間が流れた。
福祉授業でお招き頂いた視覚障害者と小学校の先生という出会いだった。
その後、先生とはほぼ毎年会うことになった。
僕と子供達が出会う機会を幾度も作ってくださったのだ。
正しく知る機会の大切さを考えてくださったのだろう。
先生は異動されても可能な限りそれを続けてくださった。
ご主人と知り合ったのは数年前だ。
関係のある専門学校にお招きくださった。
正しく知る機会の大切さ、奥様の助言もあったに違いない。
一人でも多くの人に伝えたいと思っている僕にとっては有難いことだった。
ご主人は気さくな人柄で、僕のサポートも引き受けてくださるようになった。
先日も最終バスに間に合わない僕を京都から自宅まで車で運んでくださった。
共通の話題ができた僕達3人はたまに会うことになった。
今回はお盆休みを利用しての映画鑑賞だった。
待ち合わせの京都駅のホームには奥様が迎えに出てくださった。
待機していたご主人の車に乗り込んで出町柳にある出町座という映画館に向かった。
僕が観たいと思っていた『違国日記』がそこで上映していることを調べてくださった
のだ。
昭和の雰囲気の残る映画館でスマホの副音声アプリを使って映画を鑑賞した。
不思議な感覚だった。
映画館を出てファミレスに向かった。
僕達は夕食をとりながら映画の感想などを語り合った。
座席への誘導、メニューの説明、トイレなどはお二人のサポートを受けた。
でもそれ以外は僕達は普通に存在していた。
正しく理解してもらう延長線上に共に生きていく社会がある。
そしてそこに本物の幸せがあるような気がする。
『違国日記』、いい映画だった。
(2024年8月18日)