京都駅の一日当たりの利用者数は30万人だ。
僕が乗り換えでよく利用する山科駅は6万人、地元の比叡山坂本駅は1万人だ。
そして僕の仕事は自由業だから利用する時間帯も日によって違う。
例え同じ電車に乗り合わせていたとしてもどの車両だったか何秒後に改札口を通るの
かなど、出会いはとても小さな確率の中に存在しているということになる。
まさに奇跡のような偶然なのだろう。
比叡山坂本駅の改札口を出たところで女性が声をかけてくださった。
「6月のことですが・・・」
6月10日に「子供さんとお父さん」でブログに書いた子供さんのお母さんだった。
あまりの偶然に驚いた。
ありがとうカードで僕のホームページを覗いてくださっていたのだろう。
「サポートが上手にできなかったと主人が言っていました。」
記憶の中のお父さんの誠実そうな雰囲気が蘇った。
僕は僕の勘違いで変な動きになってしまったことを説明した。
そして、声をかけてくださったことへの感謝を再度お伝えした。
「息子さんが怖い思いをされなかったかが心配でした。」
僕は僕の中に残っていた不安を伝えた。
大丈夫だったと知ってほっとした。
今手伝うことはありますか?」
お母さんは最後にそうおっしゃった。
僕はバス停までのサポートをお願いしようかと一瞬思った。
でも、たまたま荷物で左手も塞がっていたことに気づいて断念した。
慣れている場所でもあったからだ。
僕は感謝を伝えて彼女と別れた。
あのお父さん、そして今日のお母さん、あの子はきっといつか僕の仲間に声をかけて
くれるだろうと思った。
今日のお母さんとの出会いは偶然ではなく必然だったような気になった。
バス停に着いたら、男性が声をかけてくださった。
次のバスがくるまでに30分はあるとのことだった。
そして近くのベンチまで案内してくださった。
あることは知ってはいたが、空いているかが分からない僕にはいつもは利用できない
ベンチだった。
僕は座ってのんびりとバスを待つことができた。
うれしかった。
ちなみに彼は、30分もあるからと歩いて帰られた。
僕も見えていたらそちらを選択しただろうなとちょっとうらやましかった。
バスの発車時刻が近くなったので僕はベンチから動こうとした。
そして方向を見失った。
頭の中になんとなくの地図はあるつもりだったが曖昧だったのだろう。
点字ブロックを白杖で探そうとした時だった。
「私の肘を持ってください。」
また別の男性の声だった。
彼は僕をバス停まで案内してくださった。
彼も先ほどの男性も僕がどのバスに乗るかを知っておられたということになる。
これまでのどこかで見ていてくださっていたのだろう。
見守っていてくださったということだ。
この社会で生かされているのだとしみじみと思った。
地元の比叡山坂本駅に帰り着いての30分程度、そのわずかな時間に3名の方にお世話
になった。
3名の方と人生が交差したということだ。
僕の人生はとても贅沢なのかもしれないと思った。
(2024年8月7日)