社会モデル

まだお盆帰省には早いからとの判断は甘かった。
午前中のさくら号の指定席はすべて満席だった。
僕はデッキで立つ覚悟もしながら自由席のチケットを買った。
サポートしてくださった駅員さんに尋ねたら外国人旅行者の増加がもたらしている状
況とのことだった。
「一応狙ってみましょうか?」
駅員さんはホームに向かいながらそうおっしゃった。
僕の歩行能力を見極めた上での判断をされたのだと思う。
僕達は運動会の二人三脚みたいな感じで動いた。
「前を失礼しまーす。」
駅員さんは大きな声でアナウンスしながらホーム上を右に左に動いていかれた。
僕達のスピードは一般の方と同じ、いや早いくらいだったと思う。
僕が日常的に単独歩行ができる理由、まず持って生まれた平衡感覚だと思う。
それに運動能力、体力もあるだろう。
そして頭の中で地図をイメージする能力も高いのだと思う。
勉強は苦手でも元気はあるという特性が失明後の僕を助けてくれたのだ。
僕達の作戦は成功して自由席を確保できた。
駅員さんに感謝を伝えて席に着いた。
まず後ろのお客さんに声をだす。
「リクライニングを倒します。」
返事はなかった。
見えない僕は後ろの座席に人がおられるかも分からずに声を出す。
単純にエチケットだと思っているからだ。
ちなみに後で聞こえてきた会話で分かったのだが、後ろの方は外国人だった。
前の座席の背中に付いているテーブルをセットする。
リュックサックからパソコンを出す。
アイフォンのテザリング機能を使ってパソコンをネットにつなぐ。
それからイヤホンを耳に装着して準備完了。
流れるような動き、きっと見えない人間とは思われないだろう。
目的の薩摩川内市までの4時間、大切な仕事の時間だ。
夏休み期間を利用した先生方の研修にお招き頂いたのだ。
教育は未来に直結すると僕は思っている。
見える人も見えない人も見えにくい人も、皆が参加できる社会を考える。
当事者の立場から正しい理解の大切さを伝え、そして思いを語る。
僕にとっては願ってもない有難い機会なのだ。
たった一度、それも2時間程度、そこでどれだけ伝えられるかは分からない。
いい加減な気持ちでは伝わらない。
一生懸命に取り組むこと、それが僕にできることだ。
準備したレジュメを確認しながら頭の中を整理する。
記憶は苦手なので流れの確認をしているだけなのだと思う。
現地では高校時代の友人達がサポートを引き受けてくれる。
これもまた有難いことだと思う。
宿泊先のホテルのスタッフの皆さんも応援してくださる。
僕が単独で動きやすいようにいつもの部屋を準備してくださるし、バイキングの朝食
も個別に対応してくださる。
医学モデルでは見えないことが障害と定義されていたが社会モデルに変化してきた。
障害は参加する社会の側にあるという考え方だ。
関西から鹿児島県への移動、一泊二日の滞在、僕にとって特別な障害は存在していな
い。
人間の社会はそれを可能にする潜在力があるのだと思う。
そして一番大切な部分、それはお互いを認め合う心の問題なのだろう。
そこを伝えるのが僕の役目と言っても過言ではないのかもしれない。
最初は少し固かった会場の空気、時間と共に微笑み出し、そして柔らいでいった。
会場を後にする時の先生方の暖かな拍手、それが答えだったのだと思う。
話を聞いてくださった先生方に心から感謝した。
一緒に過ごした時間が未来につながっていくような気がした。
(2024年8月4日)