いつもの駅、いつものように電車を降りた。
見えないのだから階段が右にあるか左にあるかは分からない。
階段を探すために耳を澄ませた。
階段のところで鳴っている小鳥の鳴き声の放送を探すのだ。
何も聞こえない。
遠い場所で降りてしまったのか、風が邪魔をしているのかは分からない。
とりあえず、右の方向に向かって歩き始めた。
この右というのは勘の世界だ。
そして結構当たる。
ところがいくら歩いても小鳥の鳴き声はなかった。
反対方向に歩いてしまったと思ってUターンした。
しばらく歩いたがまた小鳥の鳴き声は聞こえてこない。
最初の歩きが短かったのかと思って再度Uターンして長めに歩いてみた。
やっぱり聞こえてこない。
いつもと違う駅で降りてしまったのだろうか?
耳がおかしくなったのだろうか?
不安はどんどん大きくなっていった。
僕は微かに感じた人の気配に向かって声を出した。
「階段を教えてください。」
何も反応はなかった。
イヤホンをしておられる人だったかもしれないし、外国人だったかもしれない。
僕達を苦手と感じる人だったかもしれない。
とにかく万事休す。
心を落ち着けるためにしばらく立ち止まった。
いや再度歩き始める気持ちが萎んでしまっていた。
恐怖心が僕の足を止めたのかもしれない。
間違えばホームから転落するのだ。
足を前に出す勇気を取り戻すのに少し時間がかかった。
しばらくしてから、再度小鳥の鳴き声を求めて歩き始めた。
やっぱり聞こえない。
もう一度Uターンして歩き始めた時だった。
女性が声をかけてくださった。
何と声をかけてくださったのかは憶えていない。
それくらい恐怖の中にいたのだろう。
僕は階段まで連れて行って欲しいとお願いした。
彼女の肘を持たせてもらってUターン、数メートル歩いた場所に階段はあった。
愕然とした。
小鳥の声の放送が流れていなかったことを知った。
機械が故障していたのかもしれない。
僕は幾度か階段の真横を歩いていたのだ。
改札口の駅員さんに小鳥の鳴き声が故障しているかもしれないと伝えた。
駅員さんはすぐに点検するとおっしゃってくださった。
それからバス停に向かった。
いつものようにいつくるか分からないバスを待っていた。
だいぶしてからバスのエンジン音がした。
僕は白杖を握りしめた。
僕に気づいた運転手さんが違うバスであることをマイクで案内してくださった。
僕は深く頭を下げた。
乗れなくてもうれしかった。
人間が生きていく情報の8割は目からの情報だと聞いたことがある。
その目を使えない僕は残りの感覚で生きている。
残りの感覚でよく使うのは聴覚と触覚だ。
小鳥の鳴き声を目指して、点字ブロックを白杖で触りながら歩いている。
まさにそうなのだ。
その状態で一人で歩くのだから難しいのは当たり前だと自分を慰めた。
機械は故障することがあると当たり前のことを学んだ日となった。
(2024年7月28日)