電車を降りて改札口へ向かおうとした時だった。
僕の名前を呼ぶ女性の声がした。
「猫を5匹飼っている・・・」
彼女はそう自己紹介をしながら僕に肘を貸してくださった。
そうおっしゃると言うことは以前もそう自己紹介をされたのだろう。
ただ、僕の記憶にはなかった。
情けないのだが、僕の記憶力の低さは自分でも嫌になる。
画像がないせいだと言い訳をしたいのだが、それはメインの理由ではないと思う。
視覚障害の仲間でも記憶力のいい人はたくさんおられるからだ。
単に僕の記憶力の低さなのだと思う。
改札口に着いた。
僕はサポートへの感謝を伝えてバス停に向かおうとした。
「主人が車で迎えにきているので一緒に乗って帰りましょう。途中ですから。」
僕は一瞬迷ったけれど、有難いという思いが勝ってしまった。
1時間に2本のバス、どれくらい待つかはいつも分からない。
バス待ちの時間は疲労と暑さがいつも僕をからかう。
僕は喜んで彼女の申し出を受けることにした。
そして点字ブロックの近くで待機した。
待ちながら冷静さが現実を見つめさせた。
まさに通りかかりの人だ。
顔見知りではない。
見知ることはいつもできない。
なんて素敵な出来事なのだろう。
幸福感がじわじわと広がっていった。
やがて車が前に到着した。
事情は伝わっていたらしい。
ご主人はこれまた顔見知りみたいに対応してくださった。
ナビに僕の住所をセットすると車は動き出した。
スイスイとらくちんで帰宅した。
車を降りて僕は再度感謝を伝えた。
お二人のさりげなさは最後までそのままだった。
素敵だなとしみじみと思った。
車を見送ろうとしてふと気づいた。
「猫を5匹飼っている」その後の苗字を憶えていないのだ。
苦笑してしまった。
僕は見知ることのできないお二人の車の後ろ姿に心からありがとうを伝えた。
(2024年7月24日)