彼女からのメールは忘れた頃に届く。
読み終えていつも気持ちが柔らかくなる。
上品な文章の行間に人としてのあたたかさがにじみ出る。
きっとそんな感じで歳を重ねてこられたのだろう。
彼女も視覚障害者だ。
人生の後半で視覚障害になられたのだったと思う。
自分のことを後期高齢者とおっしゃっているので10歳くらい年上なのかな。
綴られる日々の暮らし、人との関わり、そこに視覚障害者同士の糸を感じる。
僕はこの糸が好きだ。
きっとどこかでお互いの人生を応援しているのだろう。
今回のメールにはツツジの赤、白、ピンクがぼんやりと見えると書いてあった。
見えていることの幸せが伝わってきた。
ツツジの色合いを僕に届けてあげたいという彼女の気持ちも伝わってきた。
しみじみとうれしく思った。
そしてうれしくなっている自分に気づいてまたうれしくなった。
失ってしまったものはどうしようもないということは分かっている。
きっとそれぞれの人生に存在するだろう。
もう会えない人もそうかもしれない。
もう行けない場所もそうかもしれない。
過ぎ去った時間もそうかもしれない。
愛していたからこそ振り返ってしまうのだろう。
そして振り返る度に愛は深まっていったような気もする。
僕にとっては光にもそういう思いがあるのだろう。
失って27年という時間が過ぎてしまった。
もう平気ですと言えるほど強くはない。
ぼんやりでもいい。
人生の最後の時まで彼女の目に光がありますようにと願う。
心からそう願う。
(2024年5月5日)