小学校高学年の頃だったと思う。
お年玉で地球儀を買った。
球型のプラスチックに世界地図を貼ったような簡易なものだった。
それを飽きることなく見ていた記憶がある。
少年の心はきっといろいろな旅をしていたのだろう。
空想が尽きることはなかった。
丸い地球が宇宙空間に浮かんでいることはなんとなく理解した。
でもいくら考えても南半球の人が落ちないのは不思議だった。
海は広いと思った。
日本が小さいのにも驚いた。
あの時にいろいろな国を憶えればよかったのにと今頃後悔している。
最近知り合った人はチリという国に住んでいる。
チリがどの辺りなのかあまり分からない。
情けない。
季節は日本と逆らしくもうすぐ秋が終わって冬を迎えるらしい。
時間も日本が朝を迎える時に夜が始まるらしい。
分かるような気にはなるがやっぱり不思議だ。
それでも僕達の言葉はメールを使って一瞬にお互いに届く。
見える人は画像もやりとりするのだろう。
エアメールの便箋や封筒を知っている僕は凄い時代になったのだと実感する。
彼女のメールには雲一つない空の様子が描かれていた。
澄み切った空気の中で空は真っ青らしい。
僕の心は少年時代のように空を飛んだ。
思い描く空想の時間は豊かに流れた。
もし目が見えたら、スマホのカメラが映し出した空を眺めるのかもしれない。
でも、それはいくら画素数が高い画像だとしても本物のそらじゃない。
そして空の大きさはスマホの画面では何百万分の1も映し出されない。
と考えると見えない僕の空想の方がひょっとしたら真実に近いかもしれない。
そんなことまでも空想しながら僕はふと笑顔になる。
負け惜しみって言われるかもしれないけれど。
(2024年4月28日)