前奏が流れ厳かな空気が会場を包み込んだ。
開会の辞の後、聖書の一節が朗読された。
校長先生の祝辞にも聖書の一節が引用されていた。
僕は無宗教だが祈りを否定しているわけではない。
アーメンも唱えるし寺社仏閣では合掌もする。
そして祈りを捧げる人達の姿にはいつも何か美しさみたいなものも感じる。
入学式や卒業式で祝辞などを聞くのも好きだ。
そこにはいつも祝辞を述べる人の個性が光り、言葉に力があることが多い。
拝聴しながら自分自身の背筋が伸びるような気になったり学びにつながったりする。
卒業生達一人一人を記憶はできていない。
それは間違いなく画像のせいだと思う。
それでも自然におめでとうの言葉が漏れる。
そして最後には一緒に讃美歌を歌う。
式次第に歌詞があるが僕には読めないし記憶もできていない。
いつもメロディだけを口ずさんでいる。
記念写真には僕も参加している。
撮影者はきっと僕を意識してくださっているのだろう。
カメラがどこにあるか、いつ撮影するかなどを言葉にしながら進めてくださる。
自分では見ることのない記念写真だ。
そこに僕も入っていることがうれしいと思う。
会場を出て堀川通りを歩いた。
満開の寒緋桜に出会った。
濃いピンク色の下向きの花を触った。
最初左手の指で触ったが、すぐに白杖を持ち替えて右手の人差し指にした。
右手の人差し指の先に目があるのかなと自分で可笑しくなった。
春風がコートを脱ぎなさいと告げた。
卒業式が終わって、来月の始めは入学式だ。
桜もそめいよしのになっているだろう。
(2024年3月18日)