介護の専門学校での今年度最後の講義が終わった。
マニタとプレナとマニシャが駅まで送ってくれた。
3人はネパールからの留学生達だ。
女性ばかりでは不安という理由でフィリピン出身のイアンも同行してくれた。
僕はボディガードと彼は笑った。
介護福祉士養成の専門学校の講師ということでいろいろな国からの留学生達と交流する機会を持つことができた。
覚えているだけでも、韓国、中国、インドネシア、ベトナム、台湾、フィリピン、コロンビア、モンゴル、ブラジル、沢山の留学生達と関わった。
留学生達は日本語は上手とは言えないことが多いのだがとても陽気で明るいイメージ
だ。
そして優しい。
僕のサポートも教えた通りにしっかりとやってくれる。
困っていそうな視覚障害者を見たら手伝いたいとのことだ。
留学生達と話をすると僕は日本について考える。
ネパールでは白杖も観たことがないし視覚障害者に出会ったことはなかったとのこと
だ。
僕は日本に生まれたこと、そしてたまたま日本という国で視覚障害者となったことを
自然に感謝してしまう。
「いつかネパールの障害者や高齢者の力になりたい。」
留学生達は屈託のない笑顔でそう話した。
留学生達が日本で生きていくのはとても過酷だと思う。
置かれている状況、生活の様子、それが伝わってくる。
アルバイトで得たわずかな収入から家族に仕送りをしていることも僕は知っている。
そして自分達はとても質素な生活をしている。
まさに夢を持って生きているのだ。
地下鉄の改札口で別れて点字ブロック沿いに階段へ向かった。
少し歩いたところでなんとなく背中に視線を感じて振り返った。
「ハーイセンセー、気をつけて。」
留学生たちは僕が大丈夫か見ていたのだろう。
「大丈夫、バイバイ!」
僕は手を振った。
留学生達も笑顔で手を振った。
しばらく歩いたところでまた声がした。
「センセー、また会いたいよ。」
背中の声に僕は頷きながら階段に向かった。
世界中の人が皆幸せになれたらいいな。
心からそう思った。
(2024年2月8日)