今年度30回目の大学の講義が終わった。
最後の講義のせいか学生達は全員出席していた。
それだけでなんとなくうれしく感じた。
最後の講義は質疑応答を中心に進めた。
ぬくもりのあるやさしい質問が多く届けられた。
最後に観た光を尋ねられた時には胸が熱くなった。
男子学生も女子学生も眩しいくらいにキラキラしていた。
ふと自分にもあったその頃を思い出した。
僕は東京で1年間浪人生活をした。
ほとんど勉強はしなかったので、まさに自由を満喫した日々だった。
あの1年をもっと真面目に過ごせれば少し違う人生だったのかもしれないと思う。
それでも後悔はないということはどこかで納得しているということなのだろう。
生粋の田舎者だった僕には東京の街そのものがキラキラしていた。
いくつかのシーンがまるで絵葉書のように記憶に残っている。
不思議と色褪せない画像だ。
しみじみと見えていたんだなと思う。
昔見えていましたと話すことに最近少し照れくささを感じるようになってきた。
なんとなく不思議な感覚だ。
見えない時間が25年を超えた。
見たことがないものが多くなってきたことは間違いない。
あきらめて、あきらめられなくて、あきらめることをあきらめて。
見えていたということが少しずつ遠ざかる。
講義を終えて帰路に着いた。
烏丸御池で烏丸線から東西線に乗り換えようと点字ブロックを辿った。
階段を降りる時に女性のサポートの声がした。
僕は彼女の肘を借りて地下鉄に乗車した。
空席を探して座らせてくださった。
この時間帯にこの電車で座れることは滅多にない。
座れるって幸せだなとしみじみと思った。
学生達がいつかきっとこの女性のようになって視覚障害者のサポートをしてくれるだ
ろう。
そんな風に思ったら余計にうれしくなった。
今日の講義の前に教務課から話があった。
来年度の講義の予定を提出するようにとの内容だった。
大学はもうすぐ春休みだ。
また来年度も頑張りたい。
頑張る場所があることをうれしく思う。
(2024年1月21日)