67歳になった。
日本では65歳からが高齢者ということになっている。
だから60歳台になったくらいからその言葉を意識し始めたような気がする。
ところが最近少し意識が変わってきた。
ラジオなどでいろいろな人の話を伺いながら、年齢はひとつの指標に過ぎないと思え
るようになってきた。
実際に出会う人達もそれを実感させる人は多くおられる。
80歳を超えながら矍鑠とされておられる人と出会うのも特別に珍しいことではなく
なった。
ひょっとしたら、60歳台なんてまだまだ若輩者なのかもしれない。
いや、僕自身は確かにそうだ。
社会に対して現役でいたいと考えているが、自分の無力や弱さなどをすぐに思ってし
まう。
社会の未熟さを感じるような感覚を持っていたがこれも少し違和感を感じ始めた。
未熟さは僕自身の中にあるのだ。
年齢を重ねれば丸くなると聞いていたが、自分の生意気さを修正していくということ
なのかもしれない。
もうしばらくは現役でいたいと思う。
誕生日の花が梅だと初めて知った。
花言葉は「澄んだ心」らしい。
それを知って恥ずかしいと思ってしまった。
見える頃に言われてうれしかった言葉がある。
「きれいな澄んだ目をしてるね。」
幾度かその言葉を頂いた。
他に褒めるところがなかったからかもしれない。
でも、うれしい思い出だ。
今の僕、まだまだ現役、修行中だ。
澄んだ目で生きていけるようになりたいと思う。
(2024年1月6日)