視覚障害者は目が見えない人と思われがちだ。
実際には見えない人もおられるが、見えにくいという人の方が多いかもしれない。
人生の途中で視覚障害者となる人がとても多いということもあまり知られていない。
ちなみに、見えない僕が電車の入り口で立っているのは空席が見つけられないからだ
ということも話をすれば多くの方が驚かれる。
単純なことでも話を聞いて頂いて理解につながることは多くある。
正しく理解してもらうってとても大切なことだ。
共生の社会の第一歩だろう。
そういう意味からも学校などで話をする機会はとても有難い。
教育は未来に直結する。
出会った教育者の人達の中でエールを送ってくださる人は少なくない。
エールは力となる。
先日の小学校の校長先生もそのお一人だ。
「松永さんの話を子供達に聞かせたい。」
校長先生から届いたメールにはそんなことが書かれてあった。
そしていつも僕の好きなコーヒー豆をプライベイトで準備してくださる。
今回はコーヒーゼリーもあった。
コーヒー好きの僕にはうれしい活動機会となっている。
その小学校にこれまた知り合いの先生が来られていた。
先生は小学校の校長を退職された後、大学の教育学部で教鞭をとっておられる。
駅で僕を見かけたりした時もサポートしてくださる先生だ。
いつの間にか仲良しとなった。
先生は今回手土産を持ってきてくださった。
近くにおいしいパン屋さんがあるらしい。
お休みの今日の午後、そのパンの包みを開けた。
僕の大好きなシュトーレンだった。
ドライフルーツもナッツもたくさん入っていた。
僕がシュトーレンが好きと話した記憶はない。
たまたまの偶然だろう。
そう言えば、シュトーレンを僕に教えてくれたのは視覚障害者の人だった。
どんどん見えなくなる途中で、趣味のパン作りを続けておられた。
クリスマス前にプレゼントしてくださった。
一度味わっただけで大好物となった。
そんな優しい思い出も蘇った。
そして、食いしん坊の笑顔が弾けた。
お二人からのコーヒーとシュトーレンと思い出で休日の午後のひとときを過ごした。
おいしい時間に合わせたくて、グーグルでピアノ曲もリクエストした。
優雅な時間が流れた。
もうすぐ12月なんだなとしみじみと思った。
今年もここまで生きてこれたんだなと思った。
そしてしみじみと幸せを感じた。
ありがとうございますと自然に言葉が口からこぼれた。
(2023年11月24日)