見えていた頃、児童養護施設の指導員をしていた。
大学3回生の頃からアルバイトとして関わり、失明直前の39歳までそこで働いた。
いろいろな理由で両親と一緒に暮らせない子供達がそこにいた。
社会のいろいろな歪がそこにあった。
子供達は一生懸命に生きていた。
18年間の半分以上、僕は施設に泊まり込んで子供達と一緒に暮らした。
頑張ったのは間違いないが、無力だった。
夜間は僕を含めてたった3名の大人で60名の子供達を守らなければいけなかった。
物理的にも厳しい環境だったのだと思う。
今日、亡くなられた先輩職員の墓参に出かけた。
施設を辞めた時に9歳、10歳だった二人の女の子も一緒だった。
当然のことなのだが、二人は40歳近くになっていた。
不思議に感じた。
僕のことを少し憶えていてくれた。
「まっつん、今夜も部屋にきてね。絵本も読んでね。」
「5分だけでいいから一緒に寝よう。」
「寝る前に歌を歌って。」
当時、子供達は僕をまっつんと呼んでいた。
小学校低学年の子供達は寝る前に絵本の読み聞かせ、子守歌、添い寝、いろいろなお
願いを僕にした。
僕は雑用の合間を縫っていくつもの部屋を順番に訪ねた。
夜が連れてくる寂しさや悲しさを少しでも和らげてやりたかった。
そんなことしか僕にはできなかった。
「あのお饅頭がひとつ足りない話が好きだった。」
思い出話の中で彼女がふとつぶやいた。
僕も一瞬でその絵本を思い出した。
きっと彼女にせがまれて何十回も読んだのだろう。
懐かしさが込み上げた。
もう一人の女の子はギターで口ずさんだ歌のことを憶えていてくれた。
下手なギターの子守歌だった。
さすがに照れくさかった。
見えなくなって一番辛かったのは何かと尋ねられることがある。
間違いなく、その仕事を離れることだった。
子供達と別れた日のことは今でも忘れられない。
何もしてあげられなかったことを悔やみながら施設を去った。
今日、大人になった彼女たちは当たり前のように、何のぎこちなさもなく僕をサポー
トしてくれた。
彼女たちが子供の頃、確かに僕はほとんど何もしてあげられなかった。
でも、彼女達は彼女達のそれぞれの力で強くやさしく生きてきたのだ。
それがひしひしと伝わってきた。
うれしかった。
僕の思い出の中の二人の少女がその頃のままに笑った。
帰宅してホームページを確認したら、150万アクセスに到達したことを知った。
僕は僕なりに歩いてきたのかもしれない。
僕は僕なりに生きてきたのかもしれない。
ふとそう思った。
そして僕も少しだけ笑った。
何十年という時間を振り返る記念日となった。
(2023年11月4日)