お招きくださった中学校の最寄り駅はJR京都線の桂川駅だった。
朝の山科駅での乗り換えはそれなりのエネルギーがいる。
僕は朝7時台に1本だけある快速を選んだ。
乗り換えなしで行けるのだ。
ただ、大阪まで直通で行けるから通勤客なども多い。
ラッシュの中で電車に乗り込むのはそれなりのハードルがある。
彼女が最初に声をかけてくださったのはいつだっただろう。
もう忘れてしまった。
ほぼ毎日その電車で通勤している彼女は僕を見かけたら声をかけてくださるようにな
った。
この電車だったら彼女にサポートを受けられると僕も思うようになった。
6時台の電車の時はまた別の男性が決まってサポートをしてくださる。
彼とはアドレス交換をしているので僕は前日までに依頼をすることもある。
「明日、京都駅7時過ぎの新幹線に乗車するので乗り換え口までお願いします。」
という感じだ。
タイミングさえ許せば引き受けてくださる。
いろいろな人達のやさしさに支えられながら僕は生きているのだと思う。
今日の中学校は2時限目と3時限目に講演、その後はクラス毎にサポート体験という
内容だった。
この中学校は別日に点字体験も予定されているので、まさに視覚障害理解のフルコー
スということになる。
それがもう20年近く、ほぼ毎年実施されている。
僕達当事者にとってはとても有難いことだ。
実際、僕自身もこの中学校出身の人達に幾度かサポートを受けた経験がある。
6時限目までの活動を終えて、ボランティアさんに桂川駅まで車で送ってもらった。
京都駅で電車を乗り換え、地元でバスに乗り換え、いつもの帰路だ。
空席を見つけられない僕は約1時間、立ったまま過ごすことになる。
電車の乗降、乗り換え、改札口の通過、バス停への移動、どの部分も息を抜くことは
できない。
一瞬の判断ミスがどういうことになるかは自覚しているつもりだ。
電車内で手すりを持っている間だけは揺れる身体をかばいながら気持ちは休養させる
のが技術のひとつだと思っている。
電車に乗り込む瞬間に男性が声をかけてくださった。
そしてすぐに座席も教えてくださった。
僕達はそれとなく話始めた。
行先を確認しながら、同じ町内の人だと分かった。
あまりの偶然に驚いた。
彼は京都駅での乗り換えは勿論、地元駅でのバス停までのサポートまで申し出てくだ
さった。
僕は喜んでそのサポートの申し出をお受けした。
彼と歓談しながらの帰路となった。
バス停に到着した後も彼はバス待ちの時間を近くのベンチで付き合ってくださった。
いつもの僕にはそこにあることさえも気づかないベンチだ。
ベンチの木のぬくもりまでがうれしかった。
彼と別れて僕は一人でバスに乗車した。
最寄バス停でバスを降りて歩き始めた。
しばらく歩いて足が止まった。
キンモクセイ!
僕は白杖を自分の前に立ててグリップにあごを乗せた。
香りを楽しみながらゆっくりと呼吸をした。
今日出会った人達のやさしさをふと思い出した。
さりげなく、つつましやかに、そして存在感のあるやさしさ。
キンモクセイの香りがよく似合うと思った。
(2023年10月17日)