新大阪駅構内のカフェでコーヒーを飲むのが、西に向かう時の最近の僕のルーティー
ンとなっている。
目当ては玉子サンドだ。
焼きたての玉子焼きと脇役の少量のケチャップがしっかりと主張している。
朝のホットコーヒーによく合う。
胃袋にも心にもやさしくしてあげてからスタートするのだ。
8日に玉子サンドを食べて出発、14日の夜帰宅した。
結構な長旅だった。
薩摩川内市に到着した夜はいつもの料理屋さんで大好物の焼きおにぎりとお漬物を頂
いた。
偏屈のしげきがやっている料理屋さんだ。
塩分の取り過ぎには気をつけるようにしているが、この時には制限はしない。
キュウリも大根もニンジンもバリバリと食べた。
日本で一番おいしいお漬物だと思っている。
久しぶりの再会、僕達はほんのわずかの時間映画の話をした。
しげきが大学の映画学科にいた時、卒業制作の映画に僕もちょい役で出演した。
僕の人生で最初で最後の俳優となった。
しげき監督は幾度も僕にやり直しを命じた。
僕にはセンスがなかったのだろう。
でも、映画の魅力を僕に教えてくれたのはしげきだ。
見えなくなった今も僕の趣味は映画鑑賞となっている。
翌日から活動を開始した。
まず、薩摩川内市の小学校5年生対象に講演をした。
事前学習などの成果なのだろうが、とても高いレベルでのひとときとなった。
いつものことだが、子供達と語らう未来はキラキラしている。
午後はいちき串木野市で開催された更生保護の団体にお招きを頂いた。
昨年人権関係の講演で話を聞いてくださった方が企画してくださったのだ。
「風になりたいって思ったんです。」
彼女の飾らない短い言葉が心に染みた。
お土産に頂いた菓子折りわ懐かしい郷土菓子の豪華な詰め合わせだった。
食いしん坊の僕の喜びは間違いなく倍増した。
予感通りにいいスタートを切れたと感じた。
今回の鹿児島県での活動、7会場での講演となった。
生まれ故郷の阿久根市も久しぶりに訪ねた。
小中学校の同級生達が宴を催してくれた。
卒業アルバムで確認できない僕は名前は記憶していてももう顔は思い出せない。
でもそんなことはどうでもいいことだ。
たくさんの人達のやさしさの中で生きてこれたことを実感した。
わざわざ集ってくれた同級生達に心から感謝した。
講演は午後だったので、よしのりは昼食のことを心配してくれた。
「俺の家でにぎめしを食っていけばよかが。」
宴の席でおにぎりは豪華なお寿司に化けていた。
よしのりの変わらないやさしさをしみじみと感じた。
阿久根市で開催された人権擁護委員の研修会では著書の中から「阿久根にて」を朗読
してもらった。
よしのりが温泉に連れていってくれた時の思い出話だ。
会場の皆さんも同年の幼馴染が醸し出すやさしさを共有してくださったようだった。
薩摩川内市では信子先生ともまた再会できた。
2004年の著書のデビュー以来、ずっと応援してくださっている。
幼児教育一筋で生きてこられた彼女の読み聞かせにはいつも引き込まれる。
花に囲まれた大きな屋敷、静かな空気の中で絵本を読んでくださる。
ゆっくりと流れる時間、豊かな時間だ。
それを聞きたいがために僕は毎年先生を訪ねるのかもしれない。
ただ、先生はいつも僕には過分のおもてなしをしようとしてくださる。
「僕は先生の読み聞かせを聞きたいがために訪れています。
だから、構わないでくださいね。」
いつもそう伝えている。
今回は読み聞かせの後、地元のホテルのレストランで夕食をご馳走してくださった。
フルコースだった。
味も接客も雰囲気もすべてが高いレベルだった。
「先生、来年もここにしましょう。」
舌の根も乾かない内での僕の言葉に先生は笑っておられた。
今回も高校時代の仲間達がすべての場面でサポートしてくれた。
講演の企画と交渉、書類等の準備、ホテルから会場までの送迎、会場での著書の販売
などすべてにおいてだ。
滞在中の選択から最後の宅急便の手配までやってくれる。
しんやさんは高校時代と変わらない語り口と笑い声だ。
笑い声が同じだから彼女の顔はいつも浮かぶ。
やさしい語り口と笑顔が様々な交渉の力となっているのは想像できる。
ひょっとしたら一番忙しい人なのかもしれないがそれさえも笑顔に包んでしまう。
僕はただ伝えるという活動に専念できる環境だ。
料理上手のしんこちゃんはいつも栄養満点のランチを準備してくれる。
「ウンチがちゃんと出るようにね。」
僕の体調管理のためにたくさんのメニューを考えてくれる。
今回はお替り欲しさにホテルでの夜食まで準備してもらった。
故郷の海でのひととき、これも定例行事だ。
いや一番の楽しみかもしれない。
波の音を聞きながらのコーヒータイム、自分のルーツと出会う気がする。
今回は潮風に吹かれながらラジオ体操に挑戦した。
所々忘れていた。
見様見真似ができない僕は止まってしまう。
ピーちゃんが背後から僕の手をとって教えてくれた。
幸せだなって思った。
最終日は民生委員さん、地域のサロンの皆さんに話を聞いてもらった。
司会者のよしゆきが僕を「親友」と紹介してくれた。
高校時代からずっと迷惑をかけてきた。
途切れることなく50年間が過ぎた。
僕みたいな奴をそう紹介してくれたのが本当にうれしかった。
会場を出る時に話を聞いてくださった人が声をかけてくださった。
「心に染みました。頑張ってくださいね。」
その言葉が心に染みた。
急いで駅に向かった。
数名の同級生達が駅まで送ってくれた。
病院関係の理事をしている中川君も久しぶりに会いにきてくれた。
コロナで大変だったのだと思う。
この20年近い活動の半分は彼が中心となって引っ張ってくれた。
再会がうれしかった。
そう言えば、田中君も二度も会場に足を運んでくれた。
薩摩川内市の市長をしている彼はまさに分刻みのスケジュールなのは知っている。
プライベートの時間まで使って応援にきてくれる。
「良二じゃっど。」
高校時代の空手部の彼の笑顔が浮かぶ。
多忙な業務の中での変わらない応援を有難いことだと思う。
友人達に見送られて新幹線に乗り込んだ。
よしゆきが持たせてくれたしんこだんごの包みを開けた。
たまたま隣の席が空いていたので香ばしいお醤油の香りがしても大丈夫との判断だ。
故郷の味を何本も味わった。
まさに堪能した。
僕は幸せ者だと味覚が脳にささやいた。
胃袋も心も満足してリクライニングを倒した。
新大阪までの車内、しばらく眠った。
今回の活動でまた500人くらいの人に話を聞いてもらえた。
未来に向かって500粒の種を蒔いたことになる。
一日休んでまた明日から地元での活動が再開する。
明日は京都市内の中学校だ。
ホームページのスケジュールを確認しながら自分でも驚く。
少し年をとったが、体力も気力もまだまだある。
残された時間ももうちょっとはあるような気がする。
鹿児島県滞在中にも京都の同志社女子大学から講話の依頼があった。
ヘレンケラーさんが講話をされた礼拝堂での講話、光栄なことだ。
勿論、僕の活動は彼女の足元にも及ばない。
ただ、同じ未来を見つめているのは間違いない。
先達達がバトンを受け継いできてくださった。
命がけで引き継いでくださったのだと思っている。
見える人も見えない人も見えにくい人も皆が笑顔で参加できる社会、その日までバト
ンは受け継がれていく。
だから僕も、また明日から頑張る。
そして来年も故郷で活動できればと心から願う。
皆元気でいて欲しいと思う。
(2023年10月15日)