通勤通学の時間帯、ホームはたくさんの人だった。
一般の人達は整列乗車のために並んでおられるのだと思う。
僕には列の最後尾を探すことはできない。
万が一そこに案内してもらっても動き出した列に着いていくことも無理だ。
結局僕はいつも点字ブロックを白杖で確認しながら最前列に動く。
順番抜かしになるのかもしれないが抗議を受けたことはない。
それどころか、僕の歩く点字ブロックは空けてくださっているように感じる。
引っ越してきた1年半前よりもそうなってきたと感じる。
地域の暮らしに少しずつ溶け込んできたのかもしれない。
電車の行先を告げるアナウンスが流れ電車がホームに入ってきた。
緊張の瞬間だ。
数十名の乗り降りが30秒足らずで行われる。
その流れに僕も入らなくちゃいけない。
早過ぎたら降りてくる乗客とぶつかってしまうし遅かったらドアが閉まってしまう。
周囲の音を聞きながら白杖で確認しながら動く。
入り口がどこにあるかも電車とホームの溝も本当は分かっていない。
まさに毎回挑戦だ。
ドアが開いた音を確認した瞬間だった。
「一緒に乗りましょう。」
若い男性の声がした。
僕はすかさず彼の肘を持たせてもらった。
無事電車に乗ると彼は当たり前のように僕の左手を吊革に案内してくださった。
その瞬間ピンときた。
「先週の人ですか?」
先週サポートを受けた人にどこか持たせて欲しいとお願いした記憶があった。
先週渡すタイミングを逸したありがとうカードを今回はお渡しすることができた。
山科駅でJRから地下鉄に乗り換えた。
いつものように乗降口の近くの手すりを持って立っていた。
「おはようございます。」
ささやかな声は僕に向けられた挨拶だった。
「おはようございます。」
僕は知ってる人かなと思いながら返したがそうではなかった。
「座りますか?」
その声の主は僕の左手首をそっと持って近くの席に誘導した。
僕は感謝を伝えて座った。
中学生か高校生くらいの女子だったと思う。
勿論声だけのイメージなので自信はない。
いつものことだが座って手が離れた瞬間にその人がどこにいるかは分からない。
久しぶりに座れた朝に感謝しながら数駅を過ごした。
三条で京阪電車に乗り換えだ。
僕は電車がホームに入って減速する感覚を頼りに立ち上がった。
その僕の左手首をそっと握ってくれる手がそこにあった。
さっきの女子学生は前にいてくれたのだ。
彼女は僕をホームまで案内してくれた。
「行ってらっしゃい。」
彼女の素敵な言葉に送られて僕は歩き始めた。
僕が中高生だった頃、障害者の人達にどう接していたのだろう。
だいたいあまり見かけなかった。
当時の障害者の方の社会参加はままならなかったのかもしれない。
たまにお見掛けする機会があっても、ジロジロ見てはいけないという感覚があった。
かわいそうという感覚だけで動いていたような気がする。
半世紀、社会は確かに少し変わった。
今日は胸ポケットから6枚のありがとうカードが僕の手から誰かの手に渡った。
勿論、1枚も減らない日もある。
減らないことを悔やむよりも渡せた時を感謝して生きていきたいと思う。
光も見えない僕が社会に参加する意味はそこにあるのだと思っている。
「行ってらっしゃい」という暖かな言葉で背中を押されてスタートした一日、確かに
幸せな一日となった。
(2023年9月29日)