小指の爪くらいの大きさだった種を20粒ほど一晩コップの水に浸しておいた。
それを翌日にあちこちに蒔いた。
玄関の階段を上った郵便受けの横、階段の反対側、家の裏の小さなスペースなどだ。
塀の周囲にも蒔いたし遊び心で家庭菜園の端っこにも2粒だけ蒔いておいた。
一週間くらいで発芽してくれただろうか、毎日のように指先で確かめた。
小さな葉っぱ、細い茎、大きくなれよと話しかけながら幾度もそっと触った。
それが僕にとっての見るということだ。
ジョーロでの水やりは数日おきにやったし、時々肥料も与えた。
少しずつ大きくなっていった。
梅雨の頃にはまさにどんどん大きくなっていった。
僕の膝丈、腰、胸、身長、育ってくれた。
やがて手を伸ばして確認するようになり、たちたちしても届かなくなった。
不思議なもので、僕は届かなくなった先端の方をいつも眺めた。
どうやら最近咲いてくれたらしい。
ひまわりにはいろいろな思い出が重なる。
どれもが幸せな思い出だ。
思い出がひまわりを好きにさせたのかもしれない。
あとどれくらい夏を迎えられるか分からないが、毎年咲かせたいと思っている。
遊び心の家庭菜園のひまわりが一番大きくなったらしい。
ミニトマトやキュウリやナス、そして緑のカーテンのようなゴーヤ。
そこに大きなひまわりが笑っている。
夏がよく似合う。
(2023年8月4日)