バケツに小さなスコップを入れて左手に持つ。
右手には100円ショップで買ったお風呂用の小さなイスを持つ。
庭をソロリソロリ歩きながらお日様を探す。
足の裏の触覚と音だけが頼りだ。
庭だから車も自転車も人も通らない。
溝に落ちるのと木にぶつかるのが危険ということになる。
歩くスピードはとても遅い。
木の枝にぶつかっても痛くない程度のスピードだ。
たいした恐怖心もなく歩けるのは見えないということにすっかり慣れているというこ
となのだろう。
見た目には酔っ払いみたいな動きなのだと思う。
光は判らないが日差しのぬくもりは判る。
陽だまりを見つけたらそこにイスを置いて腰掛ける。
上着の左ポケットからアイフォンを出してシリにお願いをする。
「ユーミンを聞きたい。」
「春よこい」の曲が最初に流れ始めてちょっと驚く。
たまたまの偶然なのだが笑顔になる。
お茶目な神様の悪戯と理解する。
いよいよ草抜きのスタートだ。
指先がいろいろな草達を感じて驚く。
冬の間にもいろいろな種類の草達が生きてきたことを知る。
ごめんねという思いを少し感じながらその草達を抜いていく。
手強い草はスコップを使う。
バケツの中の草達が少しずつ増えていく。
いつの間にか無心になっている。
計算できない時間が流れていく。
黙々と草を抜く。
ふと手が止まる。
何のきっかけもなく繋がりもなく突然親父の思い出が蘇る。
僕の少年時代から晩年、そして息を引き取った日までがリフレインする。
ちゃんと親孝行できなかった悔しさが胸を締め付ける。
「父ちゃん」
そっとつぶやく。
息を吸い込んで空を見上げる。
愛してもらっていたことを今更ながら深く感じる。
愛は失ってから気づくものなのかもしれない。
だとしたらそれは寂し過ぎるな。
もう一度深呼吸をしてまた草抜きを続ける。
草抜きは好きだ。
(2023年3月11日)