高橋竹山の津軽三味線を聴きに出かけたのはまだ20歳台だったかもしれない。
彼の人生の重たさと三味線の音色が増幅しながら魂を揺さぶったのを憶えている。
勿論、当時は自分自身が盲になるなんて思ってもみなかったし
他の和の音楽への関心につながることもなかった。
見えなくなってからたまにお琴の演奏会などに出かける機会が生まれた。
出会った仲間に演奏家がいたからだ。
最初の頃は見えない人がお琴をやっているという感覚があった。
その感覚は幾度か演奏会に出かける過程で変化していった。
見えない人がお琴をやっているのではなかった。
お琴をやっている人がたまたま見えない人だったのだ。
演奏の力がそれを教えてくれたのだと思う。
舞台には見える人も見えない人もおられたが何の違和感もなかった。
あえて取り上げれば、楽譜が置いてあるかないかくらいのことなのだろう。
久しぶりに演奏会に足を運んだ。
和宴という名の演奏会だった。
三弦、お琴、尺八、そして謡。
和の音楽がホールにこだました。
回を重ねることで僕自身にも味わうゆとりも出てきたのだろう。
穏やかで豊かな時間を過ごすことができた。
昔から見えない音楽家達が活躍してこられたらしい。
見えないからできないではなく、何ができるのか。
先達がその考え方を教えてくれているのかもしれない。
またたまには出かけたいなと思った。
(2023年3月6日)