伏見稲荷大社の近くの小学校が僕の今年最初の小学校での活動ということになった。
それだけで何か縁起がいいような気になって出かけた。
京都駅で乗り換えた電車は観光客らしい外国人でいっぱいだった。
真っ赤な鳥居が並ぶ景色を思い出した。
最寄りの稲荷駅までは校長先生がわざわざ迎えにきてくださった。
校長先生とは担任を持っておられた頃に出会って以来10年ぶりくらいの再会だった。
僕の活動ももう20年くらいとなるので時々こういうことがある。
そういう流れでまた子供達に出会えることを心から有難いことだと思う。
子供達に話をするということは未来への種蒔だ。
いつかきっと芽を出してくれる。
そう願って、いやそう信じての活動だ。
授業が始まると僕はいつの間にか必死になって話をしている。
ひょっとしたら今回が最初で最後の出会いとなる子供もいるかもしれないという思い
が僕の心を突き動かすのだと思う。
どこかで大人気ないという気もするのだが自然にそうなるのだから仕方ない。
今日もそうだった。
僕の質問をそれぞれの子供が考えてくれるように担任の先生が全体を見渡しながらつ
ないでくださる。
時間の流れの中で教室の空気が代わっていった。
子供達は僕の言葉を受け止めてくれた。
キラキラと輝く眼差しで僕を見つめてくれた。
一緒に笑って一緒に悩んで一緒に未来を見つめてくれた。
終わってから校長室で暖かいコーヒーを頂いた。
おいしいチョコレートも添えてあった。
ご苦労様という校長先生の思いがそこにあった。
心に染みた。
子供達に出会える機会があとどれくらいあるのかは分からない。
ただ、ひとつひとつの機会を大切にしなければと思う。
見えなくなった時にもう何もできなくなるのかもしれないと思った。
実際できなくなったことも多い。
でも見えない僕にでもできることが少しはあることも分かった。
子供達に伝えていくこともそのひとつなのだと思う。
「困っている視覚障害者の人を見かけたら手伝いたいと思います。」
授業の最後に挨拶してくれた代表の女の子が思いを言葉にした。
その言葉に他の子供達が拍手を送った。
その言葉がそのまま僕の力となっていくことを感じた。
僕にできることを今年もコツコツとやっていきたい。
コツコツとそして一生懸命にやっていきたい。
(2023年1月20日)