改札口を入ったところで声がした。
「お手伝い、ありますか?」
せっかくの声だったので僕はサポートを受けることにした。
僕は彼に人差し指で示しながら伝えた。
「こっち側で肘を持たせてください。」
彼は僕の背中側に回ってしまった。
「こっち」も「肘」も伝わっていなかった。
幾度かのやりとりがあった。
なんとか左側に立ってもらって肘を持たせてもらった。
やりとりの中で彼が日本人ではないのかもしれないと思った。
「留学生ですか?」
僕は一緒に階段を上りながら尋ねた。
「アメリカ人です。」
それからいくつかの会話を試みたがうまくいかなかった。
彼の日本語力、僕の英語力、どちらもあまり役に立たなかったのだ。
彼は同じホームの反対側の電車に乗車するということが分かった。
僕は僕の側の点字ブロックの上に誘導してくれるように頼んだ。
「点字ブロック」、伝わらなかった。
彼の困惑が伝わってきた。
「イエローブロック!」
僕はホームの端の方を指差しながら言った。
「OK」
今度は通じた。
彼は僕を点字ブロックまで案内してくれた。
僕はいつものようにポケットからありがとうカードを取り出した。
「サンキューカード、プリーズ!」
彼はオウと言いながらうれしそうに受け取ってくれた。
バイバイ、僕達は手を振って別れた。
人間同士なんとかなるもんだ。
15年ほど前、京都市の障害者の体育大会に出場した時のことを思い出した。
最後の種目は地域対抗のリレーだった。
車いすの人が第一走者、そして数人の障害者の選手がバトンをつないで僕はアンカー
だった。
僕にバトンを渡す走者はろうの人だった。
手話通訳の人を交えて打ち合わせをした。
「僕は左手でガイドさんの肘を持ったまま走るので、僕の右手の掌にバトンを渡して
ください。」
リレーはスタートした。
僕は右手の掌だけに集中してバトンを待った。
ガイドの男子大学生が僕に伝えた。
「もうすぐです。今2位です。」
次の瞬間、僕の掌はバトンをしっかりと掴んだ。
足に自信はあった。
僕は全力で走った。
1位でゴールを駆け抜けた。
たくさんの仲間や関係者と喜びを分かち合った。
「あー、うー。」
僕にバトンを渡したろうの走者が何か言いながら僕に抱き着いた。
「有償だよ。良かったね、良かったね。僕達の地域の初めての優勝だよ。」
僕はそんな言葉を連呼しながら彼とハグを続けた。
お互いの背中を叩きあった。
その経験は大きな宝物となった。
その後、盲ろう者通訳解除員研修などでろうの人達と関わる機会が度々あった。
僕はいつも笑顔で挨拶ができた。
言葉を超えて伝え合うものがあるとあのろうの人からまなんだのだと思う。
(2022年12月16日)