街を歩くとあちこちから聞こえてくる。
「きれいだね。」
「秋だね。」
「素晴らしいね。」
「美しいね。」
自然が織りなす色彩につい言葉がこぼれてしまっているのだろう。
それを聞きながら、僕の頭の中にもいろいろな画像が蘇る。
映画のワンシーンのように、一枚の絵画のように蘇る。
赤茶けた桜の木の葉、黄色から黄金色に移り行く銀杏の葉、常緑樹の緑、こげ茶や茶
褐色の木の幹、足元の灰色の石、青い空、そこに浮かぶ薄い白色の雲・・・。
次から次へと思い出す。
最後に見てから25年の歳月が流れた。
朧気になっている記憶が増えてきたのも事実だ。
それでもまだ残ってくれている景色がある。
思い出せる色がある。
日常の僕の目の前には何も変化のない灰色の世界が横たわっている。
そのせいかもしれないが、こうして時々蘇る色彩をとても愛おしく思う。
その時の僕には悲しさがないわけではない。
でも、それを包み込むやさしさが生まれてきていることも感じる。
見えていた時も見えなくなってからもかけがえのない人生ということなのだろう。
昨日11月16日は「いいいろの日」だったらしい。
そういうことを提案できる社会のセンスに感謝したい。
(2022年11月17日)