発熱してしまった。
仕事もキャンセルして家で過ごした。
いつの間にだろう
早食い競争みたいに時間を食べていたことに気づいた。
仕事という名目だったのかもしれない。
いや言い訳だったのかもしれない。
忙しいことがいいことなのだと自分で自分に魔法をかけてしまっていたようだ。
結局それは生き急いでいることで死に急いでいることだったのだろう。
どうしていいか分からないたくさんの時間の前でただ狼狽えた。
呆然とする僕に時間がエンドレスで現れた。
中学生の頃だったろうか。
港の灯台のちかくで過ごした時間を思い出した。
夏の空と海、映像のほとんどがブルーだった。
その中に砂浜、いくつかの小島、堤防、赤茶けた灯台だけがあった。
何の目的もなく何をするでもなくただそこに寝っ転がっていた。
ほとんど変化のない風景をじっと見つめていた。
見つめていたのに見ていなくて、見ていないのに見ていたような気がする。
波の音や海鳥の鳴き声、小型船のエンジン音だけが聞こえていた。
ゆっくりとゆっくりと時間は流れた。
ひょっとしたら時々時が停止していたのかもしれない。
あの頃、それを僕は幸せと呼ぶことをまだ知らなかったのだろう。
50歳を過ぎてからの故郷への帰省、僕は海へ連れて行ってと友人達に頼むようになっ
た。
当たり前のことに当たり前に気づいた。
幸せはいつも穏やかな時間の中にあったのだ。
幸せを求めて急いでもそれは幻を追いかけることに過ぎないのだろう。
これからの時間をのんびりとゆっくりと過ごしていけたらいいな。
そんなに多くなくてもいい。
でもしっかりとその時間を抱きしめられたらいい。
(2022年9月15日)