バスを降りて、歩き始めた時、
老婦人が声をかけてくださった。
「22棟の人やね。私も同じだから、一緒に帰ろうか。」
「ありがとうございます。じゃあ、肘を持たせてください。」
僕達は歩き始めた。
ゆっくりゆっくり歩いた。
ご主人とは死別され、子供達は成人して家を離れ、
今は、一人暮らしだとのことだった。
「寂しいですね。」
僕の問いかけに、
「もう慣れてしまったわ。」
彼女は笑った。
同じ団地で暮らし始めて、
お互いに、もう、30年近くの時間が流れていることを知った。
もし、僕が、見えていたら、
ひょっとしたら、最後まで、
話す機会はなかったかもしれない。
たった、数百メートル、たった数分間、
僕達は、それぞれの人生に思いを重ねた。
コオロギの声を聞きながら、
歩いている道を確認するように、
歩いてきた道を確認するように、
僕達は歩いた。
団地の前に着いた時、
「初めてこんなことしたから、うまくできなくて。」
彼女が微笑んだ。
「助かりました。ありがとうございました。
また、声をかけてください。」
僕は、しっかりと頭を下げた。
僕達の足元で、
また、コオロギが歌った。
(2012年9月20日)