「松永さーん。」
待ち合わせの地下鉄の改札口に彼女は笑顔で現れた。
僕は仕事帰りだったので時間はあまりなかった。
僕達は近くのレストランで夕食をとりながら懇談することにした。
彼女はカナダに住んでいて5年ぶりの再会だった。
コロナで帰国のチャンスが数回延期になっていたのだ。
彼女と出会ってもう15年くらいにはなるだろうか。
僕の著書を読んでカナダから点字の手紙をくれたのがきっかけだった。
それ以後、彼女の帰国の際のこの懇談は僕の楽しみのひとつになった。
彼女はカナダで視覚障害の子供の支援の仕事をしていて点字もスペッシャリストだ。
趣味も豊かでヨガのインストラクターの資格まであるらしい。
何より僕の知らない世界で生きている。
今回も予約した大浴場のあるホテルで入浴を断られたという話題がスタートだった。
5年前は肩にだけタトウがあったらしい。
今回は増えて腕には2匹の鯉が泳いでいるとチャーミングに笑った。
カナダでは警察官も医師も教師もタトゥをいれていて、いれていない人を探す方が困
難なのだと教えてくれた。
そしてその先にある自由とかそれぞれの個性の尊重とか話してくれた。
それはそのまま人生の豊かさを意味していた。
楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
レストランを出て駅の改札口まで送ってもらった。
途中、彼女は駅の混雑の中から引き受けてくれそうな青年を探し出して写真撮影を依
頼した。
勿論、彼は快く引き受けてくれた。
僕達は笑顔で写真に納まった。
駅に到着して僕は握手の右手を差し出した。
彼女はその右手を無視して僕にハグした。
「カナダではハグなの。」
他人の目を気にしながら生きている日本人の僕はちょっと恥ずかしかった。
でもうれしかった。
それから彼女は人込みの中に消えていった。
その後姿をただただかっこいいと感じた。
そんな生き方を少し見習いたいと思った。
(2022年7月16日)