名古屋駅に早めに到着した。
駅のホームにある立ち食いきしめん屋さんで玉子入りきしめんを食べた。
目が見えていた頃、ここでよくこのきしめんを食べた。
旅好きだった僕は鈍行列車であちこち旅をしていたのだ。
あの頃は玉子が入っただけで贅沢だったのを憶えている。
一滴も残さずおだしも頂いた。
そして幸せだった。
30年ぶりに僕はまったく同じように頂いて、そしてやっぱり幸せだと思った。
それがうれしかった。
あの頃、見えなくなる自分を想像したことはなかった。
不思議な感じがした。
今回名古屋に行ったのは東海音訳学習会の研修会にお招き頂いたからだ。
愛知県、岐阜県、三重県で音訳に携わっておられる皆様の研修会だ。
視覚障害者の大きな困難のひとつが文字を読めなくなることがあるということだ。
人の日常を考えるとそれがいかに大変なことなのかは想像してもらえるだろう。
大好きな読書ができなくなったらどうしますか?
点字を習得して点字で読書するという方法もある。
ただ、中高年になってからの視覚障害発生が多い現代の日本、これは結構ハードルが
高い。
ボランティアさん達が朗読してくださったCDなどを聞いて読書を楽しむという方法も
ある。
現代ではこれが主流となっている。
本だけでなく、それぞれの自治体の情報誌や時にはイベントの案内チラシなどもこの
方法で僕達に届けられる。
どう読めば僕達が聞きやすいのか、写真などはどう説明すればいいのか、研鑽を続け
ながら活動を続けておられる。
それによって、僕達の生活が支えられている。
僕の周囲にも趣味は読書という視覚障害者は多くおられる。
まさに人間同士が支えあう形が脈々と続いてきたのだ。
音訳について僕があれこれ言うことはない。
僕は視覚障害の意味、その内容、課題などを話、そしてしっかりと感謝を伝えた。
AIが進み、文字を読んでくれる機器も発達してきている。
でも、朗読はずっと続いていくだろう。
人間の声のぬくもり、やさしさ、それは機械では無理だ。
どう伝えるか、それぞれの個性がそこに微笑むのもいいのかもしれない。
「真っ白なおわんに八分目のおだしが入っています。
きしめんがキラキラと輝いています。
張りのある卵黄が満月のようです。
かつおぶしは元気よく乗っています。
少し小さめのおあげさん、それから薬味のおネギ、一味をかけましょうか?」
きっと食べる前から幸せですね。
ご馳走様でした。
(2022年5月20日)