広島県尾道市の先輩宅を訪れた。
同行援護研修のお手伝いだ。
先輩は僕より20歳くらい年上で数年前に東京で開催された研修で知り合った。
失明理由は小学生の頃のはしからしい。
父親は盲学校の寄宿舎に幼い娘を預けることを拒否した。
彼女が点字を習得し学校らしきものへつながったのは父親の死後、彼女が成人してか
らのこととなった。
父親の愛情を理解できるようになったのは随分のちのことだったと、彼女は天国の父
親に申し訳なさそうに語る。
教育との出会い、仕事との出会い、伴侶との出会い、そしてたくさんの別れ。
実母は彼女を産んですぐに逝ってしまったらしい。
父親も継母も勿論もうおられない。
やっと巡り合ったご主人も50歳くらいで病魔が奪っていってしまった。
数奇な運命を超えて最後の時間を天涯孤独で暮らしておられる。
悟りを開いておられる訳でもないし我儘も多い人なのかもしれない。
まさに普通の人なのだろう。
でも僕は彼女が好きだ。
どこかで尊敬している。
障害の意味は時代と共に変化してきたのだろう。
たくさんの先輩達の人生が今につながってきたのだ。
帰宅してリュックサックから檜のコースターを取り出して香りを嗅いだ。
支援者の方からお土産に頂いたものだ。
心が深い海に落ちていくような気がした。
香りが脳を抱きしめた。
今が過去よりも前進してきたとすれば、それは当事者の思いや努力だけではない。
それを理解し共感し支援してくださった人達のお陰だ。
心から感謝したい。
そして僕自身もしっかりと未来を見つめて歩いていきたい。
(2022年5月16日)