昭和32年1月5日、阿久根でも雪が散らつく寒い日だったらしい。
超未熟児で生まれた僕の生存を信じた人はほとんどいなかった。
産婆さんと両親だけがあきらめなかったのだろう。
暖房器具などの電化製品はまだ社会にはなかった。
発明されたばかりの保育器は鹿児島県の田舎には届いていなかった。
親父はせっせとお湯を沸かして湯たんぽをいくつも僕の布団に入れてくれたらしい。
そのお湯もマキで火をおこしての時代だ。
生命力が強かったのだろう。
それから65年目の日を僕は今日無事に迎えることができた。
いよいよ高齢者だ。
高齢者にはなりたくないと思っていたのだが、なってみて驚いた。
喜びが込み上げてきた。
これまで味わったことのない幸福感のような気がする。
65年の間にはそれなりにいろいろあったのだと思う。
それでもとりあえず元気で今生きている。
うれしくてたまらない。
人生をスタートさせてくれた両親にもあらためて感謝だ。
そして、出会ったすべての人に心から感謝します。
ありがとうございます。
本当にありがとうございます。
そしてまた、笑顔で高齢者の人生を歩いていこうと思います。
(2022年1月5日)