朝のラジオで秋の味覚の話題が流れていた。
今年はマツタケが豊作らしい。
僕がマツタケを購入したのは一度だけだ。
本物を両親に食べさせてあげたいとの思いがきっかけだった。
失明して5年くらい経った頃だっただろうか、働く場所はなかなかなかった。
両親に経済的な心配をさせているのは自覚していた。
自分ではどうしようもない現実と向かい合っていた頃だった。
両親は僕を不憫に思い、僕は両親にすまないという気持ちがあった。
何の親孝行もできない自分が辛かった。
僕はお財布に一万円札を数枚入れて、白杖をつきながらデパートへ向かった。
出かけたデパートの売り場ではその値段を知ってやっぱり躊躇した。
あまりにも高かった。
それでも両親に一度くらいはという思いが決断させてくれた。
僕は自宅に帰ってデパートのラッピングをほどいた。
それから、籠から出したたった3本のマツタケを新聞紙でくるんだ。
買う時は僕が1本と両親が2本と思っていたが、僕はなくてもいいとすぐに考えが変
わった。
それから、その頃近くの団地で暮らしていた両親を訪ねた。
「知り合いから頂いたから半分おすそ分けだよ。」
僕は新聞紙で無造作にくるんだマツタケを渡した。
親父のうれしそうな声が僕を満足させた。
次の日、親父が僕の団地を訪れた。
「おいしかった。母さんと一緒にお吸い物もして頂いたよ。
残りのマツタケごはんだ。食べなさい。」
親父はお弁当箱に入ったマツタケごはんを二つ僕に手渡して帰っていった。
お弁当箱を開けると本物の香りがした。
マツタケごはんはマツタケがゴロゴロ入っていた。
ほとんどが帰ってきたのが分かった。
親父は見抜いていたのかもしれない。
僕は泣きながら食べた。
あれから20年くらいの時が流れた。
親父はこの世を去り、母は故郷の妹が世話をしてくれている。
結局、僕は定職につくことはできなかった。
全盲の人間が働ける場所はまだまだ少ない。
僕の能力の問題だけではないと思う。
見えない人も普通に参加できる社会に向けての活動が僕の仕事となった。
必ずしも収入につながるわけではないという仕事だ。
それでも僕は大切な仕事だと思っている。
僕にできるささやかな仕事だ。
ラジオを聞きながら、今年くらいはマツタケを買ってみようかなと一瞬思った。
でもすぐに打ち消した。
値段を知って怯むのは判り切っている。
思い出だけの幸せもあるということにしよう。
(2021年10月4日)