高校を卒業した頃だったと思う。
読書好きだった友人達に刺激されたのだろう。
太宰治、坂口安吾、柴田翔、どんどん読みふけるようになっていった。
そのうち、渡辺淳一、五木寛之、瀬戸内寂聴など売れっ子作家から新人作家の本まで
読み漁るようになっていった。
本屋さんに立ち寄るのは生活の一部のような感じだった。
まさに文字中毒のような状態が35歳過ぎくらいまで続いて、その後はまったく読まな
くなった。
視覚障害者で読書が趣味という方は多い。
点字で読む人もいれば、音声図書を利用されている人もいる。
サピエというインターネットを利用する図書館もある。
点字や音声データをダウンロードして利用するのだが利用者は多い。
僕も一応点字を習得したし、サピエも利用できる。
それなのに読書はしない。
一年に一冊も読まないというちょっと恥ずかしい人生だ。
僕はどうして読書をしなくなったのだろう。
映画や野球中継を楽しむ時間はあるのだから時間のせいではない。
自分でも不思議だったが、最近なんとなく分かるような気がするようになった。
僕にとっての読書は印刷された文字を目で追うという行為の中にあったのだ。
明朝体の文字が目から脳に流れていっていたような気がする。
吸い込まれながらページをめくるのが好きだったのかもしれない。
あの独特の紙の匂いも心を落ち着けてくれた。
その行為の中で精神が旅をする時間がうれしかったのだろう。
振り返ると、
読書から離れていった時期はそのまま目が文字を追い辛くなった時期と重なるのだ。
読書をしなくなった言い訳なのかもしれないが、自分では納得できている。
いつか見える日がきたら、
またぶらりと本屋さんに立ち寄って次の一冊、探してみてもいいな。
(2021年5月22日)