「汚れちまった悲しみは」だっただろうか。
彼はよく中原中也の詩を音読していた。
古い木造アパートの裸電球の下で僕達の青春は息づいていた。
高校時代に知り合った彼は僕より一歳年上だった。
飾らないやさしさを持ち合わせた人だった。
京都で一緒に学生生活を過ごした。
正確に言えば、大学生の僕とパン屋さんで働いていた彼と一緒に暮らしたのだ。
僕が日本を離れて旅に出たいと言い始めた時、彼は一緒に行くと言ってくれた。
夜盲のあった僕を心配してのことだったのだろう。
僕達は二か月間くらい、リュックサックを背負ってヨーロッパをウロウロした。
サハラ砂漠も見たいと言い始めた僕に、彼はあきれながらも付き合ってくれた。
ナイロン袋に入れて持ち帰った砂漠の砂は今も手元にある。
忘れられない思い出となっている。
彼が仕事で東京に引っ越しても付き合いは続いていた。
突然電話がつながらなくなったのは35歳くらいの頃だっただろうか。
お互いに忙しい時期、いつかそのうちと思って時間は過ぎていった。
男同士なんてそんなこともある。
ただ、それ以後の彼の足取りは同級生達の誰も知ることができなかった。
ひょんなことでやっと彼の消息が分かった。
二か月ほど前に彼はこの世を去っていた。
あれ以来再会できなかった悔しさが僕を包んだ。
訃報を知った僕は正座して合掌した。
心が少しずつ落ち着いていった。
ありがとうの気持ちがどんどん膨らんだ。
記憶の中の様々な映像が蘇った。
おんボロアパートの階段、こわれかけていたカギ、二人で歩いた繁華街の雑踏、
よく通った銭湯の様子、すべて懐かしく蘇った。
そしてあのヨーロッパの風景・砂漠の上にあった真っ青な空、蘇った。
彼の笑顔も蘇った。
蘇る映像があることをとても幸せだと感じた。
「会うは別れの始めなり。」
これも彼の口癖だった。
確かに、たくさんの人と出会い、そして別れてきた。
その出会いの中で生きてこられたのだろう。
「僕はもう少し、こっちで頑張るよ。
のんびり待っていてね。」
僕は心の中で彼につぶやいた。
(2021年5月13日)