先輩から頂いたコーヒーカップでモーニングコーヒーを飲む。
ウェッジウッドのカップの大きさも手に馴染む感じもいい。
先輩が選んでくださったということがうれしいのかもしれない。
コーヒーはいつものイノダのコーヒーだ。
インスタントコーヒーなのだが一杯分の個包装になっている。
ティファールでお湯を沸かして自分で入れられる。
飽きがこないということは好みに合っているということなのだろう。
ドトールやスターバックスなども試したが結局イノダになっている。
オリジナルブレンドとキリマンジャロブレンドを交互に飲んでいる。
ブルーマウンテンブレンドもあるがオリジナルブレンドの倍以上の価格なので滅多に
買わない。
価格も満足度に関係してしまうということは基本的にケチな性格なのだろう。
日曜日の朝はこのコーヒータイムをクラッシック音楽が包んでくれる。
歌声のない音がいい。
いろいろな楽器の織りなす音に心がくつろいでいる。
新しい一週間が始まるということを自然に感謝している僕がいる。
若い頃にはなかった感覚だ。
コーヒーカップを持った時の餅ての感じ、コーヒーの味と香り、そして音楽。
触覚と味覚と嗅覚と聴覚、ここに視覚はない。
ひょっとしたら、視覚がないということが時を高品質にしているのかもしれない。
なんて、負け惜しみかな。
こっそり笑いながら最後の一口を飲み干す。
幸せな朝。
(2021年3月22日)