洛西ニュータウン、この街が誕生した頃から僕はここで暮らしている。
当時、新築の市営住宅に抽選で入居することができたのだ。
母親の介護のために一度だけ引っ越ししたが、
それも同じニュータウン内にある公団住宅だ。
団地での生活がもう40年近くになったのだ。
大学を卒業して就職し、普通に働いていた頃、いつかマイホームをという夢も持って
いた。
その当時の福祉労働者の給与は淋しいものだった。
僕の夢は新築から中古に移っていった。
それでも、小さな庭があってとかささやかな夢はあった。
39歳での失明はすべての夢を飲み込んだ。
僕なりに努力はしたが、僕を雇ってくれるところはなかった。
正規職員だけでなくパートもアルバイトもなかった。
生きていくために必死にならなければならない日々が続いた。
本の出版がきっかけとなったような気がするのだが、
少しずつ非常勤講師などの仕事ができるようになっていった。
それでも、収入は同世代の見える人の半分にもならなかった。
マイホームの夢はあきらめるしかなかった。
正真正銘の夢のマイホームになってしまった。
不思議なことに、その現実への不満はなかった。
少しでも働けるようになったことへの感謝の方が大きかったような気がする。
社会に関わって生きていく喜びが大きかったのだろう。
裏を返せば、失明はそれさえも奪おうとしていたということなのだ。
団地の郵便受けに入っている住宅物件のチラシを今でも時々見ている。
ただ販売価格は見なくなった。
遥か遠くに消えてしまった夢が懐かしいのかもしれない。
僕にできること、僕達も参加しやすい社会に向かうこと。
まだまだ頑張らなくちゃ。
(2020年12月4日)