僕の両親は鹿児島県阿久根市で小さな商売をしていて、
僕はそこで生まれ育った。
僕が24歳の時、母は大きな病気をしてそれまでの生活ができなくなった。
それがきっかけで、両親は京都の僕の近くで暮らすことになった。
故郷の鹿児島を離れての生活は大変なところもあったが、二人で頑張ってくれた。
息子の近くに暮らしているというだけでお互いに安心感はあったのだろう。
視覚障害のある息子の暮らしも気になっていたに違いない。
6年前に父が亡くなり、母は鹿児島の妹宅で暮らすことになった。
30数年ぶりに故郷に帰ることになったのだ。
複雑な思いでいた母に僕はひとつだけお願いをした。
一日に一回の朝の電話だ。
6年間、朝の電話は続いている。
特別な話をするわけではない。
暑いとか寒いとか、デイサービスに行くとか行かないとか、
たわいもない話をして声を聞くのが目的の日課だ。
94歳になった母は記憶も少し危なくなってきた。
おなじことを幾度も言ったりするようになってきた。
その母が今朝は違った。
「毎朝渡る信号に音をつけてもらいなさい。」
しっかりとした口調で僕に話をした。
音のない信号を渡る視覚障害者の危険が新聞記事にあったらしい。
「わかった。そうするよ。」
僕はその気はないけれど、そう答えた。
答えながら目頭が熱くなった。
僕の目のことが母の記憶から消えることはないのだろうか。
できることなら消してあげたいと僕は思ってしまう。
(2020年11月21日)