見えないと何もかもを家族にしてもらっていると思われがちだがそうでもない。
人によっても違うのだろう。
これは見えても見えなくても同じなのかもしれない。
若い頃に一人暮らしの長かった僕は料理、洗濯、掃除は自分でやってきた。
やらなければならなかっただけのことだ。
それによっていろいろ身に着いてしまった。
だから家事が特別に苦になることはない。
見えなくなって変わったのは工夫ということだろう。
自分で料理する機会は少なくはなったがたまにはやっている。
それなりに工夫をしながらだ。
気が向いたら掃除機で自分の部屋の掃除もやっている。
洗濯は好きなのかもしれない。
ベランダに出て洗濯ものを取り入れる瞬間はうれしくなる。
乾いた洗濯物の触感や香りでお日様を感じられるような気がする。
ベランダからふと外の景色を見るのも好きだ。
何も見えてはいないのだけれどなんとなく見てしまう。
自分でも不思議な行動だ。
気温や湿度や風や音が作り出す景色みたいなものがあるような気がする。
身体全体で見ているのだろう。
そして気持ちよく感じると目線が遠くに動いていく。
脳がなんとなくやさしくなる。
そしてうれしくなる。
洗濯が好きなのではなくてベランダが好きってことかな。
(2020年9月21日)