いつものバス停に向かっていたが、通り過ぎてしまったらしかった。
バス停には点字ブロックがあるのでそれを白杖と足の裏で探しながら歩くのだ。
時々、点字ブロックをまたいでしまったり、
歩道の端の点字ブロックのないところを歩いたりしてしまうらしい。
感覚でちょっと遠いと思ったら引き返して見つけるのが日常だ。
「バス停はここやで。」
男性の声が通り過ぎたことを教えてくださった。
「ありがとうございます。」
白杖の達人の僕としてはちょっと照れながら感謝を伝えた。
それから男性は点字ブロックの上で落ち着いた僕に挨拶をくださった。
「おはようさん。」
「おはようございます。」
間もなくバスが着いた。
僕の乗るバスではなかった。
バスが発車してから男性に声をかけた。
「こちらから挨拶もできないですし、朝から声をかけてもらえるととてもうれしいで
す。」
返事はなかった。
理由はすぐに分かった。
さっきのバスに乗車されたのだ。
それが分からないのが見えないということだ。
誰もいないのに話しかけてしまうのは時々ある。
目が見えなくなった当初はその失敗が恥ずかしかった。
でもそれが見えないということなのだと自分で理解できるようになった。
同じようなことだが、歩きながら何かに白杖が当たったら謝っている。
止めてある自転車やごみ箱にも謝っているらしい。
それも謝れる人生の方が豊かだと勝手に納得している。
「おはようさん。何番のバスに乗るの?」
しばらくしてバス停に到着されたご婦人が尋ねてくださった。
「おはようございます。29番です。」
「私は西1番に乗るから、29番はその後だよ。」
やがて西1番のバスがきて彼女は乗っていかれた。
そしていよいよ僕が乗る29番のバスが到着する直前、
「おはようございます。」
支援学校に通っている子供の声だった。
「行ってらっしゃい。」
お母さんの声も重なった。
「行ってきます。」
僕は笑顔でバスに乗り込んだ。
今日はきっととてもいい日になるなと思った。
(2020年8月24日)