昭和51年3月28日、僕は国立競技場のスタンドにいた。
19歳だった。
寒い日だったのを憶えている。
ジャパンとニュージーランド学生選抜の試合の観戦だった。
結果は6対46でジャパンが負けた。
ある意味、予想通りの結果だった。
勝つなんてあり得ないことだと思っていたし、善戦を期待しての観戦だった。
ジャパンは善戦した。
必死にボールをつなぎ、大男達に果敢にタックルしていった。
ノーサイドの笛の後、競技場は拍手に包まれた。
桜のジャージの戦士達に惜しみない拍手が届けられた。
ワールドカップの試合をラジオで聞きながら、冬枯れの空の下の風景が蘇った。
あり得ないということをあり得るにした人達に心が震えた。
うれしくて幾筋かの涙が流れた。
青空も戦士達も桜のジャージももう僕は見れない。
試合に夢中になってそんなことさえ忘れていた。
僕の魂は確かにスタンドの片隅にあった。
19歳の時と同じだった。
同じであったことに気づいて、また熱い涙がこぼれた。
(2019年10月15日)