電話が欲しいとメールがあった。
10年以上の長い付き合いだが初めてのことだった。
彼女は悔しかった体験をゆっくりとゆっくりと話した。
言葉を選びながら確認しながら話した。
幾度も話は立ち止った。
僕はのんびりと待ち続けた。
そしてタイミングを見計らってそっと背中を押した。
話し上手な人なら3分で終わるような話を彼女は10分以上かかって話した。
話し終わると彼女はまず時間がかかってしまったことを詫びた。
僕はそれも貴女の個性だよねと笑った。
電話の向こう側で彼女も笑った。
彼女は視覚障害なのだが心の病気も持っている。
でも僕はそれを病気と感じたことはない。
参加できる社会がなかったことが彼女を苦しめた結果なのだろうと思っている。
苦しんだり悲しんだりしている仲間にたくさん出会った。
失明後の僕にはある意味幸運があった。
本を出せたこともそうだろう。
学校から講師の仕事を頂けたこともそうだろう。
メディアにも取り上げて頂いた。
参加できる社会が少しずつ広がっていった。
いつの間にか多忙さに追われるような生活になった。
いつの間にか悲しさや苦しさを感じる時間がなくなっていった。
たまたまラッキーだったのだ。
ひとつ何かが間違えば、ひょっとしたら僕もまだ怯えの中にいたのかもしれない。
目が見えなくなるってそういうことだ。
苦しみや悲しみの中にいる仲間と出会った時、
ほんの少しでもいいから力になりたいと思ってしまう。
同乗とか憐れみとかの感情ではない。
自分自身を重ねているのだと思う。
でも、現実はなかなかうまくいかない。
自分の無力さを思い知ることがほとんどだ。
「話をしてくれてありがとう。」
電話を切った後、僕はお礼のメールを届けた。
本当にうれしかった。
こんな僕でも彼女の人生にほんの少し寄り添えたのかもしれないと感じた。
そしてまた新しい力が僕の中で生まれていくのを自覚した。
僕には大きなことはできない。
ささやかなささやかな歩みを続けていきたい。
(2019年10月3日)