新大阪の学校で開催されたガイドヘルパー養成に出かけた。
視能訓練士を目指す学生達が受講生だった。
38人の学生達と僕は真剣に向かい合った。
学生達が直接ガイドヘルパーの仕事をすることはないのかもしれないが、
眼科を受診する僕達の後輩と出会うのだ。
その中には悲しみや苦しみを抱えている患者さんがきっといる。
僕達にそんな時期があったように。
僕は一人一人の学生に心を込めて語りかけた。
5時間の実習の後はクタクタになっていた。
学校から途中の駅までは方向が同じだった学生達がサポートしてくれた。
そこからは単独だった。
最寄り駅に着いてからは階段を探すのにも手間取った。
疲労のせいだと分かっていた。
何とか改札を出てバスのロータリーに向かった。
雨がきつかったらタクシーにと思っていたが、
小雨だと自分に言い聞かせて2千円をケチってしまった。
また道を迷いそうになりながらも周囲の人の力を借りてバス停までたどり着いた。
今度はそのバス停に停車するバスから自分のバスを探さなければならない。
集中して音を聞かなければならない。
2千円をケチってしまったことを後悔して立っていた。
「先生、村上です。お手伝いしましょうか?」
僕は最初誰か分からなかった。
毎年いろいろな学校で沢山の学生達に出会う。
ほとんどが同じ年頃だし声だけでは記憶まではできない。
フルネームや居住地や部活動などをを尋ねてやっと記憶がつながった。
今年度、大学の社会福祉学科で僕の授業を受けている学生だった。
部活動の帰り道、彼女は僕を見つけて声をかけてくれたのだった。
本当は一分一秒でも早く帰宅したいはずだった。
「先生がバスに乗られるまで一緒にいます。」
彼女は僕の困難や不安を理解しているようだった。
僕はその言葉に甘えた。
15分くらいは立っていたかもしれない。
僕と出会ってから他の視覚障害者にも声をかけられるようになったとのことだった。
そしてそれをうれしそうに話してくれた。
僕が乗るバスがきてドアが開いた。
彼女は僕を乗車口まで誘導し、座席に座るのを確認した。
「失礼します。」
運動部らしい歯切れのいい爽やかな挨拶を残して帰っていった。
彼女はきっと社会人になっても困っている僕達の仲間をサポートしてくれるだろう。
一生続けてくれるかもしれない。
そんな19歳をかっこいいと思った。
そしてこれからもしっかりと学生達と向かい合おうと思った。
(2019年9月5日)