午前中は「京都市盲ろう通訳・介助員養成講座」での講師の仕事だった。
視覚障害、聴覚障害の重複障害の方々の支援をする大切な制度だ。
視覚障害の意味、支援のポイントなどを伝えるのが僕の役目だった。
受講生の方に感謝をしながら話をした。
もし僕自身が、今後耳も不自由になったらと考えると恐怖を感じる。
でも現実にそういう方々がおられるのだ。
その支援を志すこと自体が素晴らしいことなんだと思っている。
終了後、同行したボランティアさんと急いで京都駅に向かった。
学生時代によくガイドをしてくれた彼女は、卒業して障害児の教育に関わる仕事に就
いた。
縁とは不思議なものだ。
今回はボランティアとして僕のアシストをしてくれた。
食事を済ませて、地下鉄の改札で彼女と別れた。
僕は次の仕事のために向島にある京都福祉専門学校に向かった。
オープンキャンパスでの講師が仕事だった。
福祉に興味を持った若者達に視覚障害者という立場で話をした。
いつもそんな感じなのだが、つい力が入ってしまう。
もう少し手抜きも必要なのかもと反省もするのだが、
一期一会に感謝して心が熱くなってしまう。
終わった時には疲労感もあった。
近鉄、地下鉄、阪急、市バスと乗り継いで帰らなければならない。
アイマスク状態で白杖だけを手がかりに歩くのだから、我ながら凄いことだと思って
いる。
でも、やっぱり不安はある。
乗り換えの四条烏丸の混雑は半端じゃない。
夏休み、日曜日、祇園祭、想像しただけで足が竦む。
頑張るしかない。
地下鉄四条駅の改札を出て歩き出した時、女性が声をかけてくださった。
僕はすぐに彼女の肘を持たせてもらった。
「人込みは大変ですね。」
彼女の的を得た言葉が僕の身体を軽くした。
阪急の改札口までのわずかな距離の中で彼女はいくつか話をしてくださった。
彼女は難聴の障害を持っておられた。
先天性で補聴器を装着しているのだとおっしゃった。
通勤の際も視覚障害者のおじさんがいるのでよく声をかけているとのことだった。
数えきれない数の人が僕の横を歩いていかれたが、
声をかけてくださったのは彼女だった。
僕は何故かとてもうれしくなった。
人間としてのきらめきがある彼女を素敵だと思った。
「可哀そうな人を支援するのではなくて、障害を持った人の幸せをアシストするのが
仕事だと思ってください。」
午前中の講座で話した言葉が蘇った。
心からのお礼を彼女に伝えてさよならした。
見えない僕にもできる仕事がある。
そう自分に言い聞かせたらまた元気が出た。
(2019年7月22日)