健康を考えての散歩が日課になってきた。
父ちゃんも高齢になってから毎日散歩していた。
見えなくなってから一度だけ父ちゃんと一緒に歩いたことがある。
父ちゃんに手引きしてもらって歩いた。
うれしい思い出だ。
ただ、そのコースは白杖の僕が単独で歩くには難易度が高い。
一部だけを往復するのを僕の散歩コースにしている。
そのせいか歩きながらよく父ちゃんを思い出す。
無口で地味で努力家の人だった。
あの父ちゃんの子供がどうしてこんなのだろうと考えると悲しくもなる。
海の近くで育った僕は海に関わる仕事をしたいと思っていた。
父ちゃんと魚釣りをしながら幾度もそう思った。
子供の頃描いた夢の中に見えない僕はいなかった。
どうしようもないことを運命と呼ぶとしたら、
それは悲しすぎることなのかもしれない。
いろいろな人生の岐路で考えながらここまできたのだろう。
仕方なかったのかもしれない。
次生まれてきたらやっぱり海の近くで釣りをしながら暮らしたい。
そんなことに思いを巡らせながら歩いていたらメジロの地泣きに気づいた。
足が止まった。
父ちゃんが好きだった鳥だ。
父ちゃんが何か言ったのかもしれない。
父ちゃんに再会するまでのもう少しの時間、しっかり生きていきたい。
なんとなくそう思った。
(2019年3月27日)